トマスアースキン (第6代ケリー伯爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トマスアースキン (第6代ケリー伯爵)の意味・解説 

トマス・アースキン (第6代ケリー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 03:14 UTC 版)

トマス・アースキン
Thomas Erskine
6代ケリー伯(ロバート・ヒューム英語版の肖像画をロバート・ブライスがエングレービングしたもの。ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵)
基本情報
生誕 1732年9月1日
出身地 グレートブリテン王国
死没 (1781-10-09) 1781年10月9日(49歳没)
神聖ローマ帝国オーストリア領ネーデルラント ブリュッセル
ジャンル マンハイム楽派
職業 作曲家、ヴァイオリニスト

第6代ケリー伯爵トマス・アレグザンダー・アースキンThomas Alexander Erskine, 6th Earl of Kellie, 1732年9月1日1781年10月9日)は、イギリスの音楽家、作曲家。1756年までフェントン子爵儀礼称号を使用した[1]。彼の特筆に値する才能は国際的名声を、派手な習癖は悪名をもたらしたが、現代では無名である。20世紀末になって、現存していた彼の曲の録音がなされ、18世紀イギリスの重要な作曲家の1人、とくに初期スコットランド音楽の代表的人物として、再評価されつつある。

生涯

第5代ケリー伯爵アレグザンダー・アースキンと2人目の妻ジャネット(1775年6月7日没、医者で詩人のアーチボルド・ピトケアン英語版の娘)の息子として、1732年9月1日に生まれた[1]。父は1745年ジャコバイト蜂起を支持したジャコバイトであり、1746年7月から1749年10月までエディンバラ城に投獄された人物である[1]。1756年4月3日に父が死去すると、ケリー伯爵位を継承した[1]

エディンバラのロイヤル・ハイスクールに通っていたトマス・アースキンは、1752年、ヨハン・シュターミッツの下で音楽を学ぶため、ドイツマンハイムに留学した。1756年にスコットランドに帰国。ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト兼作曲家として、「fiddler Tam」というニックネームがついた。彼は当時流行の最先端だったマンハイム楽派を普及させ、その第一人者としてイギリス中に広く知られるようになった。1761年、3楽章からなる序曲(交響曲)集(全6曲)をエディンバラで出版。ジェイムズ・ボズウェル1762年10月20日、アースキンから5ギニー借り、1763年5月26日、彼をロンドンのエグリントン卿のところに連れて行った。ロンドン滞在中、アースキンが流行歌をつぎはぎして作った曲「The Maid of the Mill」は大変な人気を博した(1765年コヴェント・ガーデンにて初演)。1767年、スコットランドに戻り、エディンバラ音楽協会の代表を務めた。有能なヴァイオリニストとしても、エディンバラのNiddry's Wyndにある聖セシリアホールでコンサートを催した。

熱心なフリーメイソンであり、1760年にイングランド・古代派グランドロッジ英語版のグランドマスターに選任され、6年間務めた。1763年から1765年まではスコットランド・グランドロッジのグランドマスター英語版も兼任した。

1769年にケリー城英語版以外の地所をすべて売却した[1]

アースキンの自堕落なライフ・スタイルは、会員が全員男性の飲酒クラブを設立するに及んだ。伝えられるところでは、遊び友達のサミュエル・フットはアースキンに、「君のキュウリを熟成させるため、君の赤鼻を君の温室に入れたまえ!」とアドバイスしたそうだ。彼には、あっという間に曲を書くが、推敲をまったくせずに人に渡す傾向があったのだった。彼は健康を損い、オーストリア領ネーデルラントスパに行った。すぐに帰国するはずが麻痺を起こし、ブリュッセルで2、3日の足止めを食った後、「悪臭を伴う熱」に襲われ、51歳で死去した。

生涯未婚であり、爵位は弟アーチボルドが継承した[1]

1970年代まで、アースキンの作品で残っている曲はわずかしかないと思われていたが、1989年にKilravock城で、室内楽曲を含む2つの原稿が発見され、現存する彼の曲の数は2倍になった。9曲のトリオ・ソナタと、9曲の弦楽四重奏曲である。近年、ジョン・パーサーによって、アースキンに対する関心は復活し、彼の作品を収めたCDも作られた。

出典

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire) (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 102–103.

関連図書

外部リンク

フリーメイソン
先代
ブレッシントン伯爵
イングランド・古代派グランドロッジ
グランドマスター英語版

1760年 – 1766年
次代
トマス・マシュー閣下
先代
エルギン伯爵
スコットランド・グランドロッジ
グランドマスター英語版

1763年 – 1765年
次代
ジェームズ・ステュアート
スコットランドの爵位
先代
アレグザンダー・アースキン
ケリー伯爵
1756年 – 1781年
次代
アーチボルド・アースキン



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  トマスアースキン (第6代ケリー伯爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

トマスアースキン (第6代ケリー伯爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トマスアースキン (第6代ケリー伯爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトマス・アースキン (第6代ケリー伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS