トマス・アーチャー (初代アーチャー男爵)とは? わかりやすく解説

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トマス・アーチャー (初代アーチャー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 04:04 UTC 版)

初代アーチャー男爵トマス・アーチャー英語: Thomas Archer, 1st Baron Archer1695年7月21日1768年10月19日)は、グレートブリテン王国の政治家、貴族。ホイッグ党に所属し、1735年から1747年まで庶民院議員を務めた[1]。弟に庶民院議員ヘンリー・アーチャー英語版がいる[2]

生涯

アンドルー・アーチャー英語版と妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ダッシュウッド(Dashwood)、サー・サミュエル・ダッシュウッド英語版の娘)の長男として、1695年7月21日にウォリックシャーノール英語版で生まれた[1]。弟に庶民院議員ヘンリー・アーチャー英語版がいる[2]。1712年7月25日、オックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学した[3]

1726年8月11日、キャサリン・ティッピング(Catherine Tipping、1754年7月20日没、初代準男爵サー・トマス・ティッピング英語版の娘)と結婚、1男2女をもうけた[4]。キャサリンは裕福な相続人であり、アーチャーはこの資金を元手に議会選挙への影響力を得た[4]

  • キャサリン(Catherine、1790年8月12日没) - 1750年8月11日、第4代プリマス伯爵アザー・ルイス・ウィンザーと結婚、子供あり[5]
  • アン(1775年6月20日没) - 1756年3月13日、エドワード・ガース=ターナー英語版(後の初代ウィンタートン男爵、初代ウィンタートン伯爵)と結婚、子供あり[6]
  • アンドルー(1736年7月29日 – 1778年4月18日/25日) - 第2代アーチャー男爵[7]

1734年イギリス総選挙で弟とともにウォリック選挙区英語版から出馬、それぞれ228票と219票(得票数3位と4位)でトーリー党候補に敗れたが、選挙申し立ての末1735年2月にアーチャー兄弟の逆転当選が宣告された[8]。議会では首相ロバート・ウォルポールを支持し[4]1741年イギリス総選挙ブランバー選挙区英語版に鞍替えして、無投票で再選した[9]。ブランバー選挙区は初代準男爵サー・ヘンリー・ゴフ英語版が掌握していたが、ゴフは1741年の総選挙で議席をアーチャーに譲り、以降アーチャーはブランバー選挙区の2議席を租借した[9]。アーチャーは同年末までにウォルポールを見捨てて野党に転じたが、1742年初にウォルポール内閣が崩壊すると与党に転じた[4]。1741年12月31日に父が死去すると、その遺産を継承した[1]

アーチャー家が所有したアンバースレイド・ホール英語版、2007年撮影。

1747年イギリス総選挙で政府にブランバー選挙区の2議席を指名させ、自身が庶民院議員を退任する代償として[4]同年7月14日にグレートブリテン貴族であるウォリックシャーにおけるアンバースレイドのアーチャー男爵に叙された[1]。ブランバー選挙区とウォリック選挙区のほかにはコヴェントリー選挙区英語版でも1議席への影響力を有した[10]

1750年3月[1]から1753年5月までフリントシャー首席治安判事英語版を務め、1757年にコヴェントリー市裁判所判事(recorder)を務めた[1]

1768年10月19日にピアゴ英語版で死去、11月3日にタンワース英語版で埋葬された[1]。息子アンドルーが爵位を継承した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 188.
  2. ^ a b Matthews, Shirley (1970). "ARCHER, Henry (1700-68), of Hale, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Appleyard-Azard". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 29–50.
  4. ^ a b c d e Matthews, Shirley (1970). "ARCHER, Thomas (1695-1768), of Umberslade, Warws. and Pirgo, Essex.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧
  5. ^ "Plymouth, Earl of (E, 1682 - 1843)". Cracroft's Peerage (英語). 2 April 2003. 2021年1月11日閲覧
  6. ^ "Winterton, Earl (I, 1766)". Cracroft's Peerage (英語). 31 August 2003. 2021年1月11日閲覧
  7. ^ Drummond, Mary M. (1964). "ARCHER, Hon. Andrew (1736-78), of Umberslade, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John [in 英語] (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧
  8. ^ Matthews, Shirley (1970). "Warwick". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧
  9. ^ a b Sedgwick, Romney R. (1970). "Bramber". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧
  10. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Coventry". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月11日閲覧

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ウィリアム・ケイト準男爵英語版
ウィリアム・ブロムリー
庶民院議員(ウォリック選挙区英語版選出)
1735年 – 1741年
同職:ヘンリー・アーチャー英語版
次代
ウィルズ・ヒル
ヘンリー・アーチャー英語版
先代
サー・ヘンリー・ゴフ準男爵英語版
ヘンリー・ゴフ英語版
庶民院議員(ブランバー選挙区英語版選出)
1741年1747年
同職:ヘンリー・ゴフ英語版
次代
ジョセフ・ダマー英語版
ヘンリー・ゴフ英語版
名誉職
空位
最後の在位者
サー・ロジャー・モスティン準男爵英語版
フリントシャー首席治安判事英語版
1750年 – 1753年
次代
プリマス伯爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 アーチャー男爵
1747年 – 1768年
次代
アンドルー・アーチャー



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