デンマークとオルデンブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 06:45 UTC 版)
「オルデンブルク (領邦)」の記事における「デンマークとオルデンブルク」の解説
Fortunatusとも呼ばれたディートリッヒ (en) の子で、1440年にオルデンブルク伯位を継承したのが、クリスティアン7世である。母方の家系でデンマーク王につながっていた(ホルシュタイン伯家出身の母がエーリク5世の血を引いていた)クリスティアン7世は、1448年にデンマーク王に選出された(クリスチャン1世。彼にはじまる王朝がオルデンブルク朝(オレンボー朝)である)。これにより、オルデンブルクはデンマーク王国から遠く離れた飛地となった。オルデンブルクの統治を委ねられた王の弟たちは、しばらくのあいだ専制政治をおこなった。 さらにクリスチャン1世は、1450年にノルウェー王、1457年にスウェーデン王を兼ねた。1460年にはシュレースヴィヒ公国およびホルシュタイン公国を継承したが、これはその後のオルデンブルクの歴史にとって重要な出来事となる。クリスチャン1世は1454年、弟のゲルハルト6世 (en) にオルデンブルク伯の地位を譲った。ゲルハルト6世は好戦的な君主であり、ブレーメン司教 (en) やその他の隣国と恒常的に戦争を繰り広げた。1483年、ゲルハルト6世は息子たちによって退位に追い込まれ、スペインへの巡礼に出て客死することになる。
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