デュセイ・アンダーソンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > デュセイ・アンダーソンの意味・解説 

デュセイ・アンダーソン

(ディセイ・アンダーソン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 06:28 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
デュセイ・アンダーソン

デュセイ・アンダーソン(L. Desaix Anderson, 1936年 - )は、アメリカ合衆国外交官。国務省外交部に35年間勤務し、アジア問題に精通。

生涯

1936年に誕生し[1]ミシシッピ州サムナーの農場で成長。プリンストン大学で歴史号の学士号を取得[1]カリフォルニア大学バークレー校でヨーロッパ文学を修了[1]。1958年から1960年までアメリカ海軍で士官として現役勤務[1]。その後はミシシッピ州にある家族の農場の経営を管理[1]

1962年に国務省外交部に入省[2]。1963年から1964年までネパールカトマンズ大使館で総務職員として勤務[2]。1964年からベトナムで国際開発庁地方代表[1]。続いてベトナム革新開発プログラムの顧問役[1]。1965年から1967年まで国務省ベトナム作業部会メンバー[1]

1970年から1973年まで台湾の台北大使館で政治担当官[2]。1973年から1976年まで日本の東京大使館で政治担当官[1]。続いて国務省政治軍事局に短期間在籍した後[1]、1977年から1980年までタイ王国のバンコク大使館で副参事官(政治担当)及び対インドネシア主任監視官[1]。1980年から1983年までベトナム・ラオス・カンボジア部長[2]。1983年から1985年まで日本部長[2]。1985年から1989年まで駐日首席公使[3]。1989年から1992年まで首席国務次官補代理(東アジア・太平洋担当)として日本・朝鮮・中国・モンゴルを担当[1]。1992年から1993年までプリンストン大学及びラトガース大学で在住外交官という形で出張し、東アジア政治経済の講義を担当[1]。1993年から1994年までは国務省調整官(アジア太平洋経済協力担当)を務め、クリントン大統領主催によるシアトルでの閣僚・首脳会議を調整[1]。続いて1994年から1995年まで政策企画本部上級委員(アジア担当)。ベトナムとの国交樹立に伴い、1995年から1997年まで駐ベトナム臨時大使[4]。1997年5月に国務省外交部を退職[1]

1997年、国務省カンボジア特使[2]。1997年から2001年まで朝鮮半島エネルギー開発機構事務局長[2]を務めた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Desaix Anderson Biographic Sketch”. Institute for Corean-American Studies (2005年5月3日). 2011年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g L. Desaix Anderson”. National Committee on North Korea. 2011年5月1日閲覧。
  3. ^ Deputy Chiefs of Mission”. U.S. Department of State. 2011年5月1日閲覧。
  4. ^ L. Desaix Anderson”. United States Department of State. 2011年5月1日閲覧。
公職
先代:
アルバート・セリグマン
アメリカ合衆国国務省東アジア・太平洋局日本部長
1983年7月 - 1985年5月
次代:
トマス・ハバード
外交職
先代:
ウィリアム・クラーク
在日本アメリカ合衆国首席公使
1985年 - 1989年
次代:
ウィリアム・タリー・ブリアー
先代:
-
在ベトナムアメリカ合衆国臨時代理大使
1995年 - 1997年
次代:
ダグラス・ブライアン・パターソン



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デュセイ・アンダーソン」の関連用語

デュセイ・アンダーソンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デュセイ・アンダーソンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのデュセイ・アンダーソン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS