ティート・ゴッビとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 歌手 > イタリアの声楽家 > ティート・ゴッビの意味・解説 

ティート・ゴッビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 05:50 UTC 版)

ティート・ゴッビ(Tito Gobbi, 1913年10月24日 - 1984年3月5日[1][2]は、イタリアバリトン歌手。演技派として知られる。

生涯

バッサーノ・デル・グラッパに生まれ、パドヴァ大学にて法学を学んだ後ジューリオ・クリーミ(it:Giulio Crimi)に声楽を学ぶ。

オペラ歌手としてのデビューは1935年ベルリーニ作曲『夢遊病の女』のロドルフォ伯爵。

1942年からはミラノ・スカラ座の舞台も踏み、終戦後に国際的な活躍を開始した。

1950年代から60年代にかけては、ローマ歌劇場、60年代の後半からはシカゴ歌劇場を主な拠点として活躍、多くの新作オペラの初演にも加わった。

1959年には来日し、NHKイタリア歌劇団にてヴェルディの『オテロ』でマリオ・デル・モナコと共演している。

1979年には舞台から完全に引退。一方で1960年代からはオペラの演出も行い、また晩年は後進歌手の育成にも努めた。

1984年3月5日に滞在中のローマにて死去。

人物

レパートリーはロッシーニセビリアの理髪師』のフィガロ、ヴェルディの『ファルスタッフ』、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』などのブッフォ的なものから、ヴェルディ『オテロ』のイヤーゴ、プッチーニ『トスカ』のスカルピア男爵といった悪役まで100近くに及ぶ。

『トスカ』のスカルピア役では1953年のスタジオ録音全曲盤(ヴィクトル・デ・サバタ指揮、マリア・カラスジュゼッペ・ディ・ステファーノ共演)が今日でも名盤の誉れ高いほか、イヤーゴ役に関して1959年東京でのマリオ・デル=モナコとの共演、スカルピア役で1958年パリおよび1964年ロンドンでのカラスとの共演(ただし第2幕のみ)がそれぞれ映像で残されており、彼の演技の素晴らしさをうかがわせる。また第二次世界大戦終戦直後には多くの映画にも主演しており、中には女優ジーナ・ロロブリジーダと共演したフィルム数本もある。

マリア・カラスの公私にわたった良き友人の一人としても知られ、彼女の人柄、エピソードや芸術性に関して多くのコメントや著述を残している。

著書に自伝"My Life"および"Tito Gobbi and His World of Italian Opera"がある。バスのボリス・クリストフは義兄弟。

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ティート・ゴッビ」の関連用語

ティート・ゴッビのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ティート・ゴッビのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのティート・ゴッビ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS