チャックリー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:51 UTC 版)
この後チャックリー王朝が成立し、ラーマ1世が即位した。この王朝は国内ではアユタヤ王家の末裔を強調したため、 華人的側面がタークシン王よりも弱かったが、清朝政府に対しては、タークシンと同じ「鄭」姓を名乗り、朝貢貿易を行った。国内でもタークシンに引き続き、華人商人の奨励がなされた。しかし、ラーマ5世時代、1910年に人頭税が上げられると、華人がゼネストを起こした事件がおこり、華人の権利の巨大化が表面化したため、この事件の数ヶ月後即位したラーマ6世により、『東洋のユダヤ人』という論文が著され、華人が批判された。一方では、華人の帰化を奨励し、タイで生まれた華人に自動的にタイ国籍を与える属地主義を導入した。これにより華人が徐々にタイに同化した。 なお、東洋のユダヤ人と呼ばれた華人には客家人系が多い。
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