ちゃ‐か・す【茶化す】
ちゃ‐かす【茶×滓】
チャカス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 14:12 UTC 版)
チャカス (ギリシア語: Τζαχᾶς) またはチャカ・ベイ (トルコ語: Çaka Bey)[注釈 1]は、11世紀にスミュルナを中心に小アジア南西部やエーゲ海に自立政権を築いたトルコ人軍人、反乱指導者。元はビザンツ帝国に仕えていたが、反乱を起こしてスミュルナを制圧し、1088年から1091年にかけて小アジアのエーゲ海沿岸や沖の島々を支配した。絶頂期にはみずからビザンツ皇帝を僭称し、北のペチェネグ人と連携してコンスタンティノープル征服を狙うまでになった。しかし1092年、ヨハネス・ドゥーカス率いるビザンツ海軍に大敗を喫してレスボス島を奪回され、翌年に娘婿のクルチ・アルスラーン1世に裏切られ殺害された。スミュルナなどのチャカスが支配した領域は、1097年ごろにビザンツ帝国が奪回した。
- ^ ビザンツ帝国の史料にある「チャカス」という名は、トルコ語の人名をギリシャ語化したものである。トルコ語のもとの名は史料に残っていないが、おそらく「チャカ」(現代トルコ語アルファベット: Çaka)もしくは「チャア」(Çağa)、「チャカン」(Çakan)といった名である。近代トルコの歴史家アクデス・ニメト・クラトが1936年に著書Çaka: Orta Zamanda İzmir ve Yakınındaki Adaların Türk Hakimi(『チャカ: 中世イズミルと周辺諸島のトルコ人支配者』)で彼を紹介して以降、「チャカ」という表記が定着し、トルコ人の間でよく付けられる名前にもなった[1]
- ^ Tarih Dergisi, Cilt 20, İstanbul Üniversitesi Edebiyat Fakültesi, İbrahim Horoz Basımevi, 1983, p. 56.
- ^ Alexander Daniel Beihammer, (2017), Byzantium and the Emergence of Muslim-Turkish Anatolia, Ca. 1040-1130, p. 272
- ^ a b c d e Mallett 2013
- ^ a b c d e f g Brand 1991, p. 2134.
- ^ Anna Komnene. Alexiad, VII.8 (Dawes 1928, p. 183).
- ^ Anna Komnene. Alexiad, VII.8 (Dawes 1928, pp. 183–187).
- ^ Anna Komnene. Alexiad, IX.1 (Dawes 1928, pp. 214–217).
- ^ Anna Komnene. Alexiad, IX.3 (Dawes 1928, pp. 219–220).
- ^ Anna Komnene. Alexiad, XI.5 (Dawes 1928, p. 281)
- ^ “Deniz Kuvvetleri Komutanlığı Tarihçesi” (Turkish). Turkish Naval Forces Command. 2022年2月8日閲覧。
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