ダッコちゃん
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ダッコちゃん、だっこちゃんは、1960年(昭和35年)に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形の愛称。後に製造元のタカラ(→タカラトミー)もこの名称を使うようになった[1](後述の通り、21世紀の復活版では正式な商品名として「だっこちゃん」が採用されている)。またそのモチーフとなったキャラクター。
注釈
- ^ 従業員が子どもに一個買いたいと願い出たが、当時の社長は「朝から並んでいるお客さまに一個でも買ってもらうため、われわれが先に買うわけにはいかない」[9]
- ^ 1960年9月22日付の『朝日新聞』によれば大阪・心斎橋筋にいた立ち売り業者が、偽物を本物らしく見せかける「ウィンクする目玉」を2つ1組60円で販売していたという[4]。
- ^ 発売前の2000年末、『e-kara』のテレビCMで最後の1秒間、社名ロゴと共に登場した。この「CMでキャラクターデビュー」というアイデアは佐藤慶太の発案である[19]。
- ^ 太田スセリ(後のオオタスセリ)と岡野ゆかりのお笑いコンビ
- ^ シングル「サミアどん音頭(ブギ)」(アニメ「おねがい!サミアどん」イメージソング。歌:川久保潔 & ビクター少年民謡会)のB面収録曲。
出典
- ^ 『読売新聞』1986年1月1日付朝刊、78頁に掲載されたタカラの全面広告では「だっこちゃん」の表記が使われている。
- ^ a b c d e 「だっこちゃん人形、世紀の変身 『差別』批判に配慮、タカラ発売へ」『朝日新聞』2000年12月23日付朝刊、39頁。
- ^ a b c d e 21世紀の新生「だっこちゃん21」誕生に関するお知らせ、株式会社タカラ、2001年3月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 斎藤良輔『昭和玩具文化史』住宅新報社、1978年、260-264頁。
- ^ a b c d 「『だっこちゃん』印、今年限りに タカラ、新マークは公募」『朝日新聞』1989年7月19日付朝刊、11頁。
- ^ a b c 『トイジャーナル』2014年7月号、53頁。
- ^ a b c 「仕事人秘録 終わりなき人生ゲーム(6) タカラ創業者 佐藤安太氏 『だっこちゃん』と浮き沈み」『日経産業新聞』2011年5月30日付、21頁。
- ^ 妖怪ウォッチブームを取り上げた「中日春秋」(中日新聞2014年8月3日によれば、「佐藤ビニール工業所(現・タカラトミー)が生産したのは二百四十万個だったが、大量の偽物も製造され、合わせて約一千万個の黒い人形が出回ったという」。
- ^ 「中日春秋」(中日新聞2014年8月3日)。
- ^ a b 「ウインキーのごあいさつ」『読売新聞』1960年10月9日付朝刊、11頁。※広告
- ^ JAPAN: Dakkochan Delirium、『タイム』1960年8月29日号。
- ^ 「『ダッコちゃん』25周年(青鉛筆)」『朝日新聞』1985年1月13日付朝刊、23頁。
- ^ a b c d 「タカラ企画室次長大谷紀雄氏──『だっこちゃん』また売り出す(この人と5分間)」『日経産業新聞』1985年3月6日付、24頁。
- ^ 「30年代がん具復活の兆し、フラフープとだっこちゃん」『日経産業新聞』1985年2月26日付、17頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』162頁。
- ^ 「復活『ダッコちゃん』短命 昨秋『差別』と抗議で回収【大阪】」『朝日新聞』1998年1月19日付夕刊、14頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』160頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』158-163頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』171頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』173頁。
- ^ 『「タカラ」の山 老舗玩具メーカー復活の軌跡』174頁。
- ^ だっこちゃん50周年! ビニールマスコットシリーズ『VINKYS』 だっこちゃん天使と森のなかまたち 新発売!、タカラトミーアーツ、2010年7月21日。
- ^ 遠藤関だっこちゃん プレゼントキャンペーン、永谷園 - 2021年5月6日閲覧。
- 1 ダッコちゃんとは
- 2 ダッコちゃんの概要
- 3 参考文献
- ダッコちゃんのページへのリンク