ダグ・ブラウン&ジ・オーメンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:40 UTC 版)
「ボブ・シーガー」の記事における「ダグ・ブラウン&ジ・オーメンズ」の解説
シーガーはダグ・ブラウンという男に出会い、ダグ・ブラウン&ジ・オーメンズ(Doug Brown & The Omens)に加入する。このバンドではブラウンがメインボーカル、シーガーはR&Bのカバー数曲でリードボーカルを担当していた。1965年のシングル「TGIF (Thank Goodness It’s Friday)」がシーガーにとって初めて公式に発表されたレコードだった。翌年、バリー・サドラーの大ヒット曲「Ballad of the Green Berets(悲しき戦場)」のパロディで「Ballad of the Yellow Beret」という徴兵忌避者を揶揄する替え歌をビーチ・バムズ(The Beach Bums)名義でシングルを発表したところ、サドラーと彼のレコード会社から訴訟を起こされ、レコードは回収を余儀なくされる。 オーメンズの一員として活動しているとき、シーガーは後のマネージャーとなるエドワード・パンチ・アンドリュースに出会う。アンドリュースは当時デイヴ・レオーネと共同でハイドアウトという名でクラブや小規模なレコードレーベルを経営し、地元のバンドをマネージメントしていた。その中には、グレン・フライが在籍していたマッシュルームズ(The Mashrooms)もあった。シーガーはそれらのバンドのために曲を提供し、プロデュースを行っていた。あるとき、アンドリュースとレオーネの依頼で、アンダードッグス(The Underdogs)というバンドのためにシーガーはブラウンと「East Side Story」という曲を書いたが、レコード会社はアンダードッグス向きの曲ではないと不満を示した。
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