ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)の意味・解説 

ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)

(ダグラス・ダグラス=ハミルトン (第8代ハミルトン公爵) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 04:33 UTC 版)

第8代ハミルトン公爵、ジョン・ムーア英語版医師と同名の息子ジョン英語版。1775年ごろから1777年ごろ、ゲイヴィン・ハミルトン画。

第8代ハミルトン公爵および第5代ブランドン公爵ダグラス・ハミルトン英語: Douglas Hamilton, 8th Duke of Hamilton and 5th Duke of Brandon KT1756年7月24日1799年8月2日)は、グレートブリテン王国の貴族。第11代エグリントン伯爵アーチボルド・モンゴメリー英語版の妻フランシス(Frances)や女優ハリエット・パイ・エステン英語版と不倫関係を繰り返した末、1794年に妻エリザベス・アン英語版(旧姓バレル)と離婚した[1][2]

生涯

第6代ハミルトン公爵および第3代ブランドン公爵ジェームズ・ハミルトンと妻エリザベス英語版Elizabeth、1790年12月20日没、旧姓ガニング(Gunning)、ジョン・ガニングの娘)の次男として、1756年7月24日にホリールード宮殿で生まれた[1]。1769年7月7日に兄ジェームズ・ジョージが死去すると、ハミルトン公爵位とブランドン公爵位を継承した[1]

1772年初、医師ジョン・ムーア英語版とその11歳の息子ジョン英語版は8代ハミルトン公爵の母の求めを受けて、ハミルトン公爵のグランドツアー(1772年 – 1776年)に同行した[2]。一行は1774年まで主にジュネーヴで過ごした後、ドイツを縦断してベルリンに向かい、続いてウィーンヴェネツィアローマナポリフィレンツェを旅した[2]。途中でハミルトン公爵と5歳年下のムーア(息子のほう)がフェンシングで遊んだとき、公爵がムーアを刺してしまうという事故もあったが、重傷ではなく、ムーア医師が公爵を安心させたこともあって2人は親しい友人になり、後にハミルトン公爵が医師の息子ジョンの議会入りを後援することとなる[2]

ブランドン公爵位がグレートブリテン貴族だったため、イギリス貴族として議会に招集されることを国王ジョージ3世に請願、請願を審議した裁判官12名は全会一致でその権利を認め、ブランドン公爵は1782年6月11日に貴族院に招集された[1]

1785年12月23日、シッスル勲章を授与された[1]。1790年12月20日に母が死去すると、ハメルドンのハミルトン男爵位を継承した[1]

1794年3月17日から1799年8月2日までラナークシャー統監英語版を務めた[3]

1799年8月2日、ハミルトン宮殿英語版で死去した[1]。嫡出子がおらず、ハミルトン公爵位やブランドン公爵位は叔父アーチボルドが継承したが、ハメルドンのハミルトン男爵位はジョージ・キャンベル(後の第6代アーガイル公爵)が継承した[1][4]。死後、遺産を庶出の娘に譲ったため、アーチボルドはハミルトン宮殿の絵画や家具を買い戻すことを余儀なくされた[2]

家族

1788年4月5日、セント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア英語版エリザベス・アン・バレル英語版(1837年1月17日没、ピーター・バレル英語版の娘)と結婚した[1]

しかし、ハミルトン公爵は浮気を繰り返した。まず第11代エグリントン伯爵アーチボルド・モンゴメリー英語版の妻フランシス(Frances)と不倫関係になり[2]、フランシスは1788年2月[5]にエグリントン伯爵と離婚した直後に公爵との間の娘を出産した[2]

ハミルトン公爵はコヴェント・ガーデン劇場で出演していた女優ハリエット・パイ・エステン英語版とも愛人関係になった[6]。ハミルトン公爵はエディンバラシアター・ロイヤル英語版の特許権所有者であり、シアターを経営していたスティーブン・ケンブル英語版から経営権を取り上げて1792年7月にエステンに与えたほどエステンに入れ込んでいたが、この行動がエディンバラで論争を起こしたため、結局1793年には経営権がケンブルに返された[6]。その後、エステンは1794年5月に女優業から引退、同年7月にハミルトン公爵との間で1人娘をもうけた[6]

  • アン・ダグラス(1794年7月 – 1844年) - 1820年1月25日、第3代ロスモア男爵ヘンリー・ウェステンラー英語版と結婚、子供なし[7]

結局、ハミルトン公爵と妻エリザベス・アンは1794年に議会立法を経て離婚、エリザベス・アンはハミルトン公爵の死後の1800年8月19日に初代エクセター侯爵ヘンリー・セシルと再婚した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 148–149.
  2. ^ a b c d e f g Steptoe, Andrew (February 2005). "John Moore: eighteenth century physician, bearleader and social observer". Journal of the Royal Society of Medicine (英語). 98 (2): 70–74. doi:10.1258/jrsm.98.2.70. 2013年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  3. ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月5日閲覧
  4. ^ "Hamilton, Duke of (S, 1643)". Cracroft's Peerage (英語). 4 January 2019. 2020年12月5日閲覧
  5. ^ Ingraham, Edward D. (ed.). Reports of Cases Argued and Determined in the English Ecclesiastical Courts (英語). III. Philadelphia: P. H. Nicklin and T. Johnson. p. 420.
  6. ^ a b c Brayne, Charles (23 September 2004). "Esten [née Bennett; other married name Scott-Waring], Harriet Pye". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/39766 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  7. ^ "Rossmore, Baron (I, 1796)". Cracroft's Peerage (英語). 13 February 2012. 2020年12月5日閲覧

外部リンク

名誉職
新設官職 ラナークシャー統監英語版
1794年 – 1799年
次代
第9代ハミルトン公爵
スコットランドの爵位
先代
ジェームズ・ジョージ・ハミルトン
ハミルトン公爵
1769年 – 1799年
次代
アーチボルド・ハミルトン
グレートブリテンの爵位
先代
ジェームズ・ジョージ・ハミルトン
ブランドン公爵
1769年 – 1799年
次代
アーチボルド・ハミルトン
先代
エリザベス・キャンベル英語版
ハメルドンのハミルトン男爵
1790年 – 1799年
次代
ジョージ・キャンベル



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)」の関連用語

ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのダグラス・ハミルトン (第8代ハミルトン公爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS