ダグラス・デッジとは? わかりやすく解説

ダグラス・デッジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 13:45 UTC 版)

ダグラス・デッジDouglas Dedge1966年6月18日 - 1998年3月18日)は、アメリカ合衆国男性総合格闘家フロリダ州出身。

近代総合格闘技で、試合中の負傷が原因で死亡した初めての選手である[1]。1998年にウクライナの大会に出場、試合に敗れた後昏睡し、2日後に深刻な脳損傷が原因で死亡した[2]

来歴

フロリダ州のチップリー市に生まれたデッジはアラバマ州のエンタープライズ市で総合格闘技のジムを作った[3]

リング禍

1998年3月16日、ウクライナキエフで行われたInternational Super Challengeという大会に出場。ノールールでは無かったこの大会は「ウクライナ対世界」と銘打たれ、約4000人の観客を動員した[4]。(興行元である地元の柔術クラブ)ミナモトは「世界チーム」の選手を集めるために、ファイトマネー2000ドル・勝利ボーナス3000ドルに加えて旅費・滞在費を保証すると、インターネットで出場者募集の告知を行っていた[5]。デッジは集まったアメリカ人選手3人のうちの1人であった[6]

試合中デッジはテイクダウンを試みるが、対戦相手のエフゲニー・ゾロタレフにマウントポジションを奪われ、鉄槌パウンドを頭部に15発浴び、まだ「きちんと防御ができていた」ものの[3]5分をまたずにギブアップして試合は終了した[7]。試合後デッジは一度は立ち上がるが直ぐに倒れ、2日後に深刻な脳損傷が原因でキエフ脳神経外科研究所で死亡した[3]。デッジの友人はこの試合のトレーニング中にデッジが失神したことがあったと後に述べている。

デッジの死後、UFCを1997年に解雇されていたUFCの元共同創立者兼マッチメーカーのアート・デイビーは、UFCオーナーのボブ・マイロビッツへ総合格闘技をプロモーションすることを考え直すよう手紙を書いている。また、デイビーは総合格闘技反対派の上院議員ジョン・マケインにも手紙を書いている。しかし、デイビーはK-1と契約しK-1USAの副社長に就任していたため、デイビーが手紙を書いた動機を疑う記者もいた。

UFCを代表して、ボブ・マイロビッツは「このようなリング禍が起きないために、我々はアメリカ国内や国際的にアスレチック・コミッションによる管理を求めている」とコメントした。

戦績

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× エフゲニー・ゾロタレフ 1R 3:49 ギブアップ(マウントパンチ) International Super Challenge 1998 1998年3月16日

脚注

  1. ^ これ以前では1981年4月、15歳のアルフレッド・カストロ・ヘレイラ (Alfredo Castro Herrera) が柔道と空手とボクシングを合わせた試合で死亡している。対戦相手は16歳のアンヘル・ルイス・ロドリゲス (Angel Luis Rodriguez) で、場所はメキシコティフアナの市営公会堂だった。出典はSt. Louis Globe-Democrat, April 15, 1981, p. 16D。
  2. ^ Iole, Kevin (2006年8月20日). “Pain, lots of blood symbols of MMA”. Las Vegas Review-Journal: pp. 4J. http://www.reviewjournal.com/lvrj_home/2006/Aug-20-Sun-2006/news/9034699.html 2008年9月21日閲覧。 
  3. ^ a b c “American dies from injuries in 'ultimate fight': Bout in Ukrainian capital lasted less than five minutes”. The Ottawa Citizen: pp. B8. (1998年3月19日) 
  4. ^ “ARENA: SPORTS BRIEFING”. Rocky Mountain News (Denver Publishing Company): pp. 2C. (1998年3月19日) 
  5. ^ The Death of Douglas Dedge SHERDOG 2007年12月7日
  6. ^ “American dies in fight”. Pittsburgh Post-Gazette (P.G. Publishing Co.): pp. A-4. (1998年3月19日) 
  7. ^ ウクライナNHB大会における死亡事故 〜その波紋、そしてUFCはどこへ行くのか〜 バウトレビュー

関連項目

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