ダイヤモンド・リングの設立、そして終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 15:24 UTC 版)
「ダイヤモンド・リング (プロレス)」の記事における「ダイヤモンド・リングの設立、そして終焉」の解説
2012年1月11日、2月11日開催の後楽園ホール大会より、興行名を「健介オフィス自主興行」から「ダイヤモンド・リング」に改称、プロレスに関連する事業も同名称に改組することを発表する。ただし、会社名は健介オフィスのままとなる。つまり、健介オフィスはレスラーおよびタレントのマネジメント、プロレス興行、選手育成、プロレス関連事業を行う企業で、そのプロレス興行運営、プロレス団体機能部門がダイヤモンド・リングという形となった。 2014年2月11日、後楽園ホール大会で中嶋に敗れた健介が引退。その後、団体の先行きが注目されたが、3月4日、3月9日のホームタウンマッチを最後に興行活動を休止させ、中嶋のみダイヤモンド・リング所属に残留しつつ他団体参戦、他2人は退団することが発表された。 2015年7月31日に、中嶋が退団したことで、団体機能は消滅した。以降も健介オフィスの法人格は、健介と北斗のマネジメントプロダクションとして残っている。
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