タガンログ県知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/07 01:10 UTC 版)
「イワン・シェスタコフ」の記事における「タガンログ県知事」の解説
軍事官僚として才幹を振るっていたシェスタコフが、本格的に行政官僚としてもその辣腕を振るうようになったのが、1864年のことである。 ユリウス暦1866年4月11日にシェスタコフはタガンログ県の知事に任命された。シェスタコフはロシア帝国海軍軍人としての軍籍を保持しつつ、同県知事を1868年まで務めた。この間、1868年にはタガンログ最初の海軍兵学校の設立を決定し、これはのちにタガンログ県知事となったヨハン・ハムプス・フルフイェルム(イワン・フルフゲリム)によって1874年に開校された。また、シェスタコフは、アゾフ海沿岸貿易の拡大を図った。そして黒海とアゾフ海で蒸気船通航のため、ロシア産石炭の取引を進め、アゾフ海とドン川の水運を改善しようとした。また、船舶の新装備への転換を推進した他、タガンログからアゾフ海海岸に沿って最新の灯台を建設した。さらにタガンログ県の全都市でガス灯を導入し、このために新しいガス工場を設立するなど産業整備にも尽力した。
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