セシル・ハームズワース_(初代ハームズワース男爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > セシル・ハームズワース_(初代ハームズワース男爵)の意味・解説 

セシル・ハームズワース (初代ハームズワース男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 17:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
初代ハームズワース男爵セシル・ハームズワース

初代ハームズワース男爵セシル・ビショップ・ハームズワース: Cecil Bisshopp Harmsworth, 1st Baron Harmsworth1869年9月23日 - 1948年8月13日)は、イギリスの政治家、貴族。

経歴

1869年9月23日にアルフレッド・ハームズワースとその妻ジェラルディン(旧姓マフェット)の三男としてロンドンセント・ジョンズ・ウッド英語版に生まれる[1][2]。新聞事業者として知られる初代ノースクリフ子爵アルフレッドは長兄、同じく新聞事業者の初代ロザミア子爵ハロルドは次兄である。弟に初代準男爵レスター英語版や初代準男爵ヒルデブラントらがいる[3]

セント・メリルボーン・グラマー・スクール英語版からダブリン大学トリニティ・カレッジへ進学[1]

1906年から1910年にかけてドロイトウィッチ選挙区英語版、ついで1911年から1922年にかけてルートン選挙区英語版から選出されて自由党庶民院議員を務める[1]

1914年から1915年にかけて通商長官議会担当秘書官、ついで1915年には内務省政務次官英語版を務めた[1]

この時期にサミュエル・ジョンソンが住んでいたシティ・オブ・ロンドンの家を買い取って修復する事業を行い、1914年にジョンソン博士の家として一般公開された[4]

第一次世界大戦中の1917年から1919年にかけてはロイド・ジョージ首相の事務局のメンバーだった。1919年には封鎖大臣代理(Acting Minister of Blockade)に就任[1]1919年から1922年にかけては外務省政務次官英語版を務める[1]

兄たちが経営するアソシエイテッド・ニュースペーパーズ英語版の社長も務めていた[1]

1939年2月4日連合王国貴族爵位ハームズワース男爵に叙せられ、貴族院議員に列した[5]

1948年8月13日に死去。爵位は次男セシルが継承した(長男は早世)[1][2]

栄典

爵位

1939年2月4日に以下の爵位を新規に与えられた[1][2][6]

家族

1897年にエミリー・モフェットと結婚し、彼女との間に以下の5子を儲ける[1]

  • 長男セシル・アルフレッド・ハミルトン・ハームズワース (1898年 - 1899年)
  • 長女ステラ・メアリー・ハームズワース (1899年 - )
  • 次女ダフネ・セシル・ローズマリー・ハームズワース (1901年 - 1993年) - コリン・ブロディー大尉、ついでハロルド・ディクソン中佐と結婚
  • 次男セシル・デズモンド・バーナード・ハームズワース (1903年 - 1990年) - 第2代ハームズワース男爵位を継承
  • 三男エリック・ビーチャム・ノースクリフ・ハームズワース (1905年 - 1988年)

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Lundy, Darryl. “Cecil Bisshopp Harmsworth, 1st Baron Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  2. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Harmsworth, Baron (UK, 1939)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月3日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Alfred Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  4. ^ Attwooll, Jolyon (2011年10月4日). “London in your lunch break: Dr Johnson's House” (英語). ISSN 0307-1235. https://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/uk/london/london-in-your-lunch-break/8806759/London-in-your-lunch-break-Dr-Johnsons-House.html 2019年1月7日閲覧。 
  5. ^ UK Parliament. “Mr Cecil Harmsworth” (英語). HANSARD 1803–2005. 2016年3月3日閲覧。
  6. ^ The London Gazette: no. 34596. p. 856. 1939年2月7日。

外部リンク

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代:
リチャード・マーティン英語版
ドロイトウィッチ選挙区英語版
選出庶民院議員

1906年1910年英語版
次代:
ジョン・リトルトン英語版
先代:
トマス・アシュトン英語版
ルートン選挙区英語版
選出庶民院議員

1911年英語版1922年
次代:
ジョン・ヒューエット
公職
先代:
エリス・エリス=グリフィス英語版
内務省政務次官英語版
1915年
次代:
ウィリアム・ブレース英語版
先代:
ロバート・セシル卿
外務省政務次官英語版
1919年 – 1922年
次代:
ロナルド・マクニール英語版
イギリスの爵位
新設 初代ハームズワース男爵
1939年 – 1948年
次代:
セシル・ハームズワース



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「セシル・ハームズワース_(初代ハームズワース男爵)」の関連用語

セシル・ハームズワース_(初代ハームズワース男爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



セシル・ハームズワース_(初代ハームズワース男爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのセシル・ハームズワース (初代ハームズワース男爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS