スーク・エル・アッタリーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/31 05:56 UTC 版)
「チュニス旧市街のスーク」の記事における「スーク・エル・アッタリーン」の解説
このスークの記録が始まったのはベルホージャの著書『ムアーリム・タウヒード』およびスライマン・ムスタファ・ズビースの『チュニス旧市街の名所』である。西暦13世紀に当たるヒジュラ暦7世紀に、ハフス朝の創設者アブー・ザカリーヤー1世によってスークの建設が完了したとされる。ムハンマド・ハシャーイシの著書『チュニジアの習慣と伝統』の記述によれば、同スークはジャスミンや薔薇の香水、竜涎香、ヘンナなどで有名だったという。北をグラーブリーヤ通り、スーク・エル・ブラーギジーヤ、シディ・ベン・アロス通りに続き、西をスーク・トゥルク、南をスーク・エル・フェッカへと続く。スーク・エル・アッタリーンはザイトゥーナ・モスクや国立図書館など歴史上重要な名所を誇っている。
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