スカイ島での晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 01:10 UTC 版)
「フローラ・マクドナルド」の記事における「スカイ島での晩年」の解説
フローラはハリファックスで厳しい冬を過ごした後、1779年9月にイギリスの私掠船ダンモア(Dunmore)でロンドンに渡航した。しかし、途中で腕を怪我し、健康も悪化したため、スコットランドに戻るのは1780年春のこととなった。その後数年間はダンヴェガン(英語版)(婿でスカイ島におけるマクドナルド家に次ぐ地主であるアレクサンダー・マクロードの邸宅がある場所)など各地の家族のところを転々とした。ノースカロライナでの領地の没収に対し、賠償金が支払われたが、その金額ではノバスコシアに住むことができなかったため、アランは1784年にスコットランドに戻った。元の住処であるキングスバーグはフローラの異母姉妹とその夫が住んでいたため、フローラとアランはその近くのペンデュイン(Penduin)に住んだ。 1790年、フローラは68歳で死去、キルミュア(英語版)墓地で埋葬された。夫アランは1792年9月に死去した。2人は5男2女をもうけ、うち1男は1781年に、もう1男は1782年に海難死したが、三男ジョンはインドで財産を成し、両親の晩年を幾ばくか過ごしやすくした。
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