ジョー・スミス_(トランペット奏者)とは? わかりやすく解説

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ジョー・スミス (トランペット奏者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/01 07:49 UTC 版)

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ジョー・"フォックス"・スミス(Joe "Fox" Smith、1902年6月28日1937年12月2日)は、アメリカ合衆国ジャズトランペット奏者。

スミスは、1902年6月28日オハイオ州リプリーに生まれた。音楽一家の出であり、父ルーク・スミス・シニア (Luke Smith, Sr.) はバンドリーダーであり、ジョーの兄弟のうち、ジョーのほかにも6人が、トランペット奏者となった。すなわち、ルーク (Luke)、スタンリー (Stanley)、ドゥーニー (Doonie)、チャールズ (Charles)、カーパシア (Carpathia)、ラッセル (Russell) の6人である。このうち3人はプロの音楽家となり、特にラッセルは、フレッチャー・ヘンダーソンの楽団で第1トランペットを務めた。

子どものころは、ずっと「トゥーツ (Toots)」と呼ばれていたスミスは、最初にドラマーを目指したが、エセル・ウォーターズ英語版の勧めで、トランペット奏者に転進した。1920年ニューヨークに到着したころには、既に自分のスタイルを確立しており、「ヴォカリーズのように歌うサウンド、ブルースのスピリット、スウィングを備えており、説得力のあるジャズの演奏を創り出していた」という[1]

1921年、スミスはシカゴのブラック・スワン・ジャズ・マスターズ (Black Swan Jazz Masters) に加わり、当時その指揮者であったフレッチャー・ヘンダーソンに「私のこれまでの楽団にいたトランペットの誰よりソウルフルな(魂のこもった)トランペットだ」と言わせた[2]。スミスは、1920年代を通して活動し、ジャズ・ハウンズ (the Jazz Hounds) やブロードウェイ・シンコペイターズ (the Broadway Syncopators) を経て、最後はマキニーズ・コットン・ピッカーズ英語版に参加した。スミスは、ベッシー・スミスの伴奏で、30枚以上のレコード制作に参加して有名になった。その他には、ビリー・ペイジ (Billy Paige)、ノーブル・シスル英語版ユービー・ブレイク、アリー・ロス (Allie Ross) などとも共演した。

スミスは、 1937年12月2日に、結核合併症のために、ニューヨーク州セントラル・イズリップ英語版の療養所で死去した。

脚注

  1. ^ Lyttelton, Humphrey (1998). The best of Jazz. Robson Books. pp. 103–4. ISBN 1-86105-187-5. 
  2. ^ Berendt, Joachim (1976). The Jazz Book. Paladin. p. 186. ISBN 0586082603. 

外部リンク

Allmusic.com Biography of Joe "Fox" Smith

Obituary of Joe Smith, Ohio Memory Collection




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