ジョージ・ハミルトン (1845-1927)とは? わかりやすく解説

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ジョージ・ハミルトン (1845-1927)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 07:26 UTC 版)

ジョージ・ハミルトン卿
Lord George Hamilton
1890年撮影
生年月日 1845年12月17日
没年月日 (1927-09-22) 1927年9月22日(81歳没)
出身校 ハーロー校
所属政党 保守党
称号 インドの星勲章ナイト・グランド・コマンダー(GCSI), 枢密顧問官(PC)
配偶者 モード(旧姓ラッセルズ)
親族 初代アバコーン公爵(父)
第2代アバコーン公爵(長兄)
クロード卿英語版(次兄)
フレデリック卿英語版(三弟)
アーネスト卿英語版(四弟)

海軍大臣英語版
内閣 第1次ソールズベリー侯爵内閣
第2次ソールズベリー侯爵内閣
在任期間 1885年6月24日 - 1886年1月26日
1886年8月3日 - 1892年8月11日[1]

内閣 第3次ソールズベリー侯爵内閣、バルフォア内閣
在任期間 1895年6月28日 - 1903年9月15日[2]

庶民院議員
選挙区 ミドルセックス選挙区英語版
イーリング選挙区英語版[3]
在任期間 1868年11月17日 - 1885年11月24日
1885年11月24日 - 1906年1月12日[3]
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ジョージ・フランシス・ハミルトン卿: Lord George Francis Hamilton, GCSI, PC, JP1845年12月17日 - 1927年9月22日)は、イギリスの政治家。

ヴィクトリア朝後期からエドワード朝初期にかけて保守党政権下で閣僚職を歴任した。

経歴

1845年12月17日、第2代アバコーン侯爵ジェームズ・ハミルトン(1868年に初代アバコーン公爵に叙される)とその夫人ルイーザ英語版(第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの娘)の間の三男として生まれる。長兄に第2代アバコーン公爵となるジェームズ、次兄にクロード卿英語版(庶民院議員)、三弟にフレデリック卿英語版(庶民院議員)、四弟にアーネスト卿英語版(庶民院議員)がいる[4]

ハーロー校で教育を受ける[5]1868年から1885年にかけてミドルセックス選挙区英語版、1885年から1906年にかけてイーリング選挙区英語版から選出されて庶民院議員を務める[5]

保守党に所属し、保守党政権で閣僚職を歴任した。第2次ディズレーリ内閣期の1874年から1878年にかけてはインド担当省政務次官英語版、1878年から1880年にかけては教育委員会副委員長英語版を務める[5]

1885年から1892年にかけて第1次ソールズベリー侯爵内閣第2次ソールズベリー侯爵内閣海軍大臣英語版を務める[5]1889年には、アフリカ・アジアで加熱していく植民地獲得競争を念頭にイギリスの海軍力を海軍力世界第2位の国(当時はフランス)と第3位の国(当時はロシア)の合計した海軍力より上にするという「二国基準」を制定し、海軍大幅軍拡を目指した[6]

1895年から1903年にかけては第3次ソールズベリー侯爵内閣とバルフォア内閣においてインド大臣を務めた[5]。バルフォア内閣期の関税論争では、自由貿易維持を支持し、ジョゼフ・チェンバレン帝国特恵関税制度英語版(保護貿易論)に反対した[7]。保護貿易へ移行すれば、彼が統括するインドにも影響が及ぶことが不可避だったためである[8]アーサー・バルフォア首相は折衷的立場を崩さなかったため、結局ハミルトンは他の自由貿易派閣僚(財務大臣のチャールズ・リッチー英語版、スコットランド担当大臣の第6代バルフォア卿アレクサンダー・ブルース英語版、枢密院議長の第8代デヴォンシャー公爵スペンサー・キャヴェンディッシュら)とともに辞職することになった[9]

1899年から1923年にかけて名誉職のディール城隊長英語版を務め、1909年にはディール市長(Mayor of Deal)を務める[5]。またミドルセックスウェストミンスター治安判事も務める[5]

1927年9月22日に81歳で死去[5]

栄典

家族

1871年に第3代ヘアウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズ英語版の娘モードと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲ける[5]

  • 第1子(長男)ロナルド・ジェームズ・ハミルトン(1872-1958):外交官
  • 第2子(次男)アンソニー・ジョージ・ハミルトン(1874-1936):陸軍軍人。少佐。
  • 第3子(三男)ロバート・セシル=ハミルトン(1882-1947):海軍軍人。中将。

脚注

注釈

出典

  1. ^ 秦(2001) p.510
  2. ^ 秦(2001) p.513
  3. ^ a b UK Parliament. “Lord George Hamilton” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年9月18日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “James Hamilton, 1st Duke of Abercorn” (英語). thepeerage.com. 2014年9月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j Lundy, Darryl. “Rt. Hon. Lord Sir George Francis Hamilton” (英語). thepeerage.com. 2014年9月18日閲覧。
  6. ^ 村岡、木畑(1991) p.211/219
  7. ^ 坂井(1967) p.211
  8. ^ 桑原・井上・伊藤(1990) p.25
  9. ^ 桑原・井上・伊藤(1990) p.16

参考文献

外部リンク

公職
先代
マウントスチュアート・グラント・ダフ英語版
インド担当省政務次官英語版
1874年 - 1878年
次代
エドワード・スタンホープ閣下英語版
先代
サンドン子爵英語版
教育委員会副委員長英語版
1878年 - 1880年
次代
アンソニー・ジョン・マンデラ英語版
先代
初代ノースブルック伯爵
海軍大臣英語版
1885年 - 1886年
次代
初代リポン侯爵
先代
初代リポン侯爵
海軍大臣
1886年 - 1892年
次代
第5代スペンサー伯爵
先代
ヘンリー・ファウラー英語版
インド大臣
1895年 - 1903年
次代
セントジョン・ブロドリック閣下
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
エンフィールド子爵英語版
ヘンリー・ラボシェール英語版
ミドルセックス選挙区英語版選出庶民院議員
1868年英語版 - 1885年英語版
同一選挙区同時当選者
エンフィールド子爵英語版(1857-1874)
オクタヴィウス・エドワード・クーペ英語版(1874-1885)
選挙区廃止
新設 イーリング選挙区英語版選出庶民院議員
1885年英語版 - 1906年
次代
サー・ハーバート・ニールド英語版



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