ジョン・ハッサールとは? わかりやすく解説

ジョン・ハッサール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 09:58 UTC 版)

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ジョン・ハッサール
基本情報
生誕 (1981-02-17) 1981年2月17日(39歳)
出身地 イングランドロンドン
ジャンル インディー・ロック、パンク・ロック
職業 ミュージシャン
ソングライター
担当楽器 エレクトリックベースギター
活動期間 1999年 - 現在
共同作業者 ザ・リバティーンズ
イエティ
公式サイト www.yetiintelligence.com

ジョン・ハッサール(John Hassall、1981年2月17日 - )は、イギリスロンドン出身のミュージシャン。ザ・リバティーンズの解散を経て自身のバンド、イエティを結成する。担当はボーカルベース

略歴

ジョンは幼少時、親が所有する大量の音楽レコードに影響され、音楽の演奏に目覚める。13歳の時にはじめてビートルズを聴き、夢中になったと語っている[1]。ビートルズのアルバムを年代順に買い続け、ビートルズの影響を受けなければ 現在のミュージシャンとしての活動はなかったと主張している。

ザ・リバティーンズ

学生時代にバンドに加わって ベースを担当。レイザーライトのジョニー・ボーレルと授業を受けていた。その後、色々なバンドに加入する。 当時、ピート・ドハーティカール・バラーは、既にザ・リバティーンズを結成していたがベーシスト不在だった為、ベーシストを探していた。ピート・ドハーティはジョン・ハッサールに興味を持ち、ジョンはバンドに加入。ピートがジョンに興味を持ったのは彼の才能だけではなく、彼が適切な機材(リッケンバッカーベース、きちんとしたアンプ)を持っていたからである言われている[2]。ジョン・ハッサール加入後、ドラムにポール・デュフールを迎え、ザ・リバティーンズのメンバーとして二年間ロンドンのいろいろな所でギグ(ライブ)活動を行った。しかし、2001年の中頃にドラムのポールが金銭的理由でバンドを脱退し、ハサルも大学に行くためバンドを去る。しかし2001年12月にロンドンのインディー・レーベルであるラフ・トレード・レコードとバンドが契約する時にベーシストとして再度加入。

2002年6月、ザ・リバティーンズがシングル「ホワット・ア・ウェイスター/アイ・ゲット・アロング」をリリースしてデビューを果たす。2004年のバンドの事実上解散までベーシストとしてプレーした。

出典

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