ジョゼフィーヌドボアルネ (スウェーデン王妃)とは? わかりやすく解説

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ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (スウェーデン王妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 10:14 UTC 版)

ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリ
Josefina av Leuchtenberg
スウェーデン王妃
ノルウェー王妃
在位 1844年3月8日 - 1859年7月8日

全名 Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone
ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ
Josefina Maximiliana Eugenia Napoleona
ユセフィナ・マクシミリアーナ・エウシェニア・ナポレオーナ
別称 ガリエラ女公爵
イタリア王女
出生 1807年3月14日
イタリア王国
ミラノ
死去 (1876-06-07) 1876年6月7日(69歳没)
スウェーデン
ストックホルム
埋葬 スウェーデン
ストックホルム
リッダルホルム教会
配偶者 オスカル1世
子女
家名 ボアルネ家
父親 ウジェーヌ・ド・ボアルネ
母親 アウグステ・フォン・バイエルン
宗教 カトリック教会
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ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌ・ド・ボアルネフランス語名:Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone de Beauharnais, 1807年3月14日 - 1876年6月7日)は、スウェーデンオスカル1世の王妃。スウェーデン語名はユセフィナ・アヴ・レウクテンベリJosefina av Leuchtenberg)、ドイツ語名はヨゼフィーネ・フォン・ロイヒテンベルクJosephine von Leuchtenberg)。

生涯

ナポレオン1世の最初の妻ジョゼフィーヌの連れ子であるイタリア副王(後にバイエルン貴族ロイヒテンベルク公ウジェーヌ・ド・ボアルネとその妻でバイエルンマクシミリアン1世の娘であるアウグステの長女として、ミラノで生まれた。ナポレオン3世の母方の従姉にあたる。1823年5月にスウェーデン王太子オスカル・ベルナドッテとミュンヘンのロイヒテンベルク宮殿で結婚した。結婚式は同年6月19日にストックホルムで行われた。

スウェーデンに着くと、ナポレオン戦争に痛手を受けた国民感情に配慮してジョゼフィーヌの名前から「ナポレオーヌ」というミドルネームがはずされた。夫オスカルとは相思相愛で結婚生活を送っていたが、彼は妻に隠れて平気で浮気を繰り返しており、のちにそのことを知ったジョゼフィーヌは大きな衝撃を受け、苦い思いを日記に書き記した。ジョゼフィーヌはガーデニング・絵画という趣味を持ち、慈善・改善の活動に参加した。また、自身は終生カトリック教徒だったが、子供たちをスウェーデンの国教ルター派で教育することに同意した。このように信仰を変えずとも、彼女は王太子妃としてやってきた時から、スウェーデン国民から高い人気を維持し続けた。

子女




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