ジャン=ピエール・レオとは? わかりやすく解説

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ジャン=ピエール・レオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 19:37 UTC 版)

ジャン=ピエール・レオ
Jean-Pierre Léaud
2000年、第25回セザール賞にて
生年月日 (1944-05-28) 1944年5月28日(81歳)
出生地 フランス国 パリ
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
主な作品
大人は判ってくれない』(1959年)
男性・女性』(1966年)
夜霧の恋人たち』(1968年)
恋のエチュード』(1971年)
アメリカの夜』(1973年)
『ママと娼婦』(1973年)
受賞
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール・ドヌール
2011年
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(男優賞)
1966年男性・女性
セザール賞
名誉賞
2000年
その他の賞
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ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud, 1944年5月28日 - ) は、フランス俳優[1]。「ジャン=ピエール・レオー」とも表記される。

来歴

1944年5月28日、パリに生まれる[2]。父は脚本家ピエール・レオ(Pierre Léaud)、母親は女優ジャクリーヌ・ピエルー(Jacqueline Pierreux)という恵まれた家庭に生まれ育ち、幼い頃から俳優になることを夢見る。13歳の時にフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』の主役のオーディションに自らの強い意志で応募。トリュフォーから「誰よりも本気だった」との評価を得て主役の座を射止める。

『大人は判ってくれない』の成功とトリュフォーからの寵愛を得たことから、ヌーヴェルヴァーグの監督達の様々な作品に出演。ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となった。トリュフォーの死の前から、ゴダールとトリュフォーの板挟みに苦しみ精神的に不安定な時期を経て復帰した。以後、現在に至るまで活躍し、2016年には第69回カンヌ国際映画祭において名誉パルム・ドールを受賞している[3]

フィルモグラフィー

大人は判ってくれない』(1959年)

脚注

  1. ^ Jean-Pierre Léaud, IMDb. 2020年9月10日閲覧。
  2. ^ Jean-Pierre Léaud”. AlloCiné. 2015年9月21日閲覧。
  3. ^ The honorary Palme d’or awarded to Jean-Pierre Léaud”. Cannes. 2016年5月23日閲覧。

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