ジガ・ヴェルトフとドヴジェンコ
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「ウクライナの映画」の記事における「ジガ・ヴェルトフとドヴジェンコ」の解説
革命後に映画製作はウクライナで国民統一の重要なツールとなり、1928年、「全ウクライナ写真映画管理局 (The All-Ukrainian Photo-Cinema Administration、略:VUFKU) 」がキエフに大規模な映画スタジオを設立。ここでは国策映画のほかにも、ソビエト映画のモンタージュ理論を応用した多様な実験作品も製作された。ジガ・ヴェルトフはその重要な推進者の一人となり、『カメラを持った男(これがロシヤだ)(Man with a Movie Camera / Chelovek s kinoapparatom)』 (1929)や『情熱(Enthusiasm/ Entuziazm)』(1930)は、このキエフのスタジオで製作されている。 同時期に登場したアレクサンドル・ドヴジェンコは、主にウクライナにおける革命と集団化の問題を扱った作品を手がけ、『大地(Earth/ Zemlia)』 (1930)などは、ソ連国内のみならず、国際的にもきわめて高く評価されるようになった。また同じくウクライナ人の監督イホール・サヴチェンコ(Ilhor’ Savchenko)も1930年代に名声を確立し、第二次大戦中にキエフ撮影所が中央アジアへ疎開した際も映画製作を続けている。
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