ジェノサイドの誘発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 00:09 UTC 版)
1992年、極端なフツ至上主義を主張する共和国防衛同盟 (CDR) が開発国民革命運動から分離する形で結成された。この共和国防衛同盟およびフツ過激派らは、ルワンダ政府がルワンダ愛国戦線とアルーシャ協定成立に向け議論を行うことに反対し、後に共和国防衛同盟が排斥された形で同協定が成立すると、ハビャリマナ大統領はツチやアガト・ウィリンジイマナ首相を含めた穏健派フツに操られていると非難した。そして、1994年4月6日にハビャリマナ大統領が何者かに暗殺されると、フツ・パワーに属する多くの者はこれがツチ過激派による犯行であると考え、インテラハムウェを始めとする民兵組織や一般大衆の動員を行い、ツチや穏健派フツが殺害されるルワンダ虐殺が勃発することとなった。
※この「ジェノサイドの誘発」の解説は、「フツ・パワー」の解説の一部です。
「ジェノサイドの誘発」を含む「フツ・パワー」の記事については、「フツ・パワー」の概要を参照ください。
- ジェノサイドの誘発のページへのリンク