ジェイ・クック&カンパニーの破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:18 UTC 版)
「1873年恐慌」の記事における「ジェイ・クック&カンパニーの破綻」の解説
1873年9月、アメリカ合衆国の金融機関では重要な銀行であるジェイ・クック&カンパニーが、ノーザン・パシフィック鉄道の債券数百万ドルを売りさばけないことが分かった。クックの会社は他の多くと同様に鉄道に大きな投資を行っていた。投資銀行がその事業のためにより多くの資本を切望しているときに、ユリシーズ・グラント大統領の通貨供給量を下げるという金融政策(つまりは利率の増加)は、負債を抱えた者にとって事態を悪化させた。事業が拡大する一方で成長を手当てするために必要とする金が少なくなっていた。 クックなどの起業家はノーザン・パシフィック鉄道と呼ぶ第二の大陸横断鉄道を建設する計画があった。クックの会社が資金手当を行い、1870年2月15日に、ミネソタ州ダルース近くで起工式が行われた。しかしクックが1873年9月に政府借入3億ドルを回そうとしたときに、その会社の信用は無価値に近いという報告が回された。9月18日、クックの会社は破産を宣言した。
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