ジェイムズ・ローレンス・オアとは? わかりやすく解説

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ジェイムズ・ローレンス・オア

(ジェイムス・L・オーア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/02/16 10:32 UTC 版)

ジェイムズ・ローレンス・オア

ジェイムズ・ローレンス・オア(James Lawrence Orr, 1822年5月12日 - 1873年5月5日)は、アメリカ合衆国政治家1857年から1859年まで第26代アメリカ合衆国下院議長を務め、1865年には公選制で最初のサウスカロライナ州知事に選出された。

生涯

1822年5月12日、オアはサウスカロライナ州クレイトンヴィルにおいて誕生した。オアは1841年バージニア大学を卒業し、弁護士となった。オアは民主党に参加し、1844年から1848年までサウスカロライナ州下院議員、1849年から1859年まで連邦下院議員を務めた。1857年から1859年までは連邦下院議長も務めた。オアは連邦議会において奴隷制の継続を勧奨し、州の権利を声高に主張した。またオアは南部諸州が連邦離脱することを予期し、州への忠誠を誓った。

南北戦争が勃発すると、オアはサウスカロライナ州のライフル連隊を組織し、指揮した。オアは1862年に連隊を離れてアメリカ連合国で上院議員となったが、その後も連隊はオアの名を掲げ続けた。オアは連合国の上院においても、州権を主張した。

南北戦争が終結後の1865年、オアは公選による最初のサウスカロライナ州知事に選出され、1868年の任期満了まで知事を務めた。オアはその後、1868年から1870年までサウスカロライナ州裁判所の判事を務めた。1872年、オアはユリシーズ・グラント大統領から駐ロシア公使に指名され、サンクトペテルブルクに赴任した。だがオアは着任直後の1873年5月、サンクトペテルブルクで肺炎により死去した。オアはサウスカロライナ州アンダーソンの第一長老派教会墓地に埋葬された。

外部リンク

官職
先代:
ナサニエル・バンクス
アメリカ合衆国下院議長
1857年12月7日 - 1859年3月4日
次代:
ウィリアム・ペニントン
先代:
ベンジャミン・フランクリン・ペリー
サウスカロライナ州知事
1865年11月29日 - 1868年7月6日
次代:
ロバート・キングストン・スコット
外交職
先代:
アンドリュー・カーティン
在ロシア帝国アメリカ合衆国特命全権公使
1873年3月18日 - 1873年5月6日
次代:
マーシャル・ジュウェル



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