コンピラ山古墳とは? わかりやすく解説

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コンピラ山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 00:19 UTC 版)

コンピラ山古墳

墳丘
別名 コンピラ古墳
所属 馬見古墳群(南群うち築山古墳群)
所在地 奈良県大和高田市築山字今屋敷
位置 北緯34度31分24.70秒 東経135度44分1.95秒 / 北緯34.5235278度 東経135.7338750度 / 34.5235278; 135.7338750座標: 北緯34度31分24.70秒 東経135度44分1.95秒 / 北緯34.5235278度 東経135.7338750度 / 34.5235278; 135.7338750
形状 円墳
規模 直径95m
高さ12.7m
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 5世紀前半
史跡 なし
地図
コンピラ山
古墳
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コンピラ山古墳(こんぴらやまこふん)は、奈良県大和高田市築山にある古墳。形状は円墳馬見古墳群(南群のうち築山古墳群)を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

概要

築山古墳群
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

奈良盆地西部、馬見丘陵南端において築山古墳(磐園陵墓参考地)の東側に築造された大型円墳である(かつては築山古墳の陪塚と想定された)。現在までに墳丘裾部が削平を受けているほか、近年に範囲確認の発掘調査が実施されている[1]

墳形は円形で、直径95メートル・高さ12.7メートルを測り(発掘調査以前は直径55メートルとされた)[1]、奈良県内の円墳としては富雄丸山古墳奈良市、直径109メートル)に次ぐ規模になる。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面ではテラス部・墳頂部で円筒埴輪列が検出されているほか、墳頂部からは盾形・家形埴輪が、墳丘斜面からは蓋形埴輪が出土している[1]。特に円筒埴輪のうち2本の中からはミニチュア土器が出土した点で注目される(類例は乙女山古墳渋谷向山古墳などで知られる[2])。また墳丘周囲には周濠が巡らされる[1]。埋葬施設は明らかでなく、副葬品も詳らかでない。

このコンピラ山古墳は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃の築造と推定される[3][1]。馬見古墳群では、巣山古墳乙女山古墳新木山古墳三吉石塚古墳、倉塚古墳・三吉古墳、築山古墳・コンピラ山古墳のように大型前方後円墳と帆立貝形古墳(または大型円墳)が近接するという特徴が認められており、ヒメヒコ制との関連性を指摘する説が挙げられている[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 河上邦彦 2006.
  2. ^ a b コンピラ山古墳(大和高田市ホームページ)。
  3. ^ コンピラ古墳(続古墳) 2002.

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

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関連項目

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