ケツカッチン (お笑いコンビ)とは? わかりやすく解説

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ケツカッチン (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/05 09:58 UTC 版)

ケツカッチン
メンバー 和泉修
高山トモヒロ
結成年 2001年
事務所 吉本興業
(2024年1月以降高山のみ)
活動時期 2001年 -
出身 NSC大阪校7期(高山)
出会い 和泉からの勧誘
旧コンビ名 修・高山
清水圭・和泉修(和泉)
ベイブルース(高山)
現在の活動状況 ライブ、テレビなど
芸種 漫才
過去の代表番組 笑激!!よしもとライブ
吉本☆ぐいピコ!
ビートップスでお買物
同期 和泉
吉田ヒロ
かつみ♥(かつみ♥さゆり
角孝人
長原成樹など
高山
蛍原徹
なるみ
安尾信乃助
矢部美幸
極楽とんぼなど
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ケツカッチンは、日本のお笑いコンビ所属事務所吉本興業(2024年1月以降は高山のみ所属)。2001年9月18日結成。

撮影用語の「ケツカッチン」と区別するため、正式なコンビ名には最後に漫画などにあるような「怒り(十字型)」を表すマークを付けているが、大概は省略されていたり、「-」や「#」で代用されたりしている。

来歴

和泉は清水圭とコンビ『清水圭・和泉修』を組んでいたが、コンビとしての活動は休止状態であった。しかしM-1グランプリ開催を知り、「もう一度漫才師として漫才をやりたい、M-1グランプリに出たい」という強い意欲に掻き立てられたことから圭の了承を得て正式に解散。その頃、相方だった河本栄得に先立たれ事実上ピン芸人で活動していた元『ベイブルース』の高山を和泉が誘い、現在のコンビを結成。ただしM-1グランプリには2001年(当時のコンビ名は『修・高山』)と2008年の二度しか出場していない。なお、2001年では3回戦進出に終わったが、2008年は準決勝まで進んでおり敗者復活戦にも出場した。

2015年、M-1グランプリへ三度目のエントリー。3回戦進出[1]

2024年1月、和泉が吉本興業を退社したため、高山のみが同事務所所属となっている[2]

メンバー

共にかつてのツッコミ同士で結成された。漫才では場面に応じて双方がボケ、ツッコミを担当する。

出演番組

テレビ
ラジオ
  • ケツカッチンのラジオ七福神(KBS滋賀

ライブ

  • ケツカッチンが火をつける(2012年3月18日、シアターセブン)

脚注

  1. ^ ケツカッチン | コンビ情報”. M-1グランプリ 公式サイト. 2021年8月18日閲覧。
  2. ^ 元「圭・修」「ケツカッチン」和泉修が吉本興業退社を報告「いると迷惑かかる」「完全に辞めました」|よろず〜ニュース”. よろず〜ニュース (2024年1月27日). 2024年10月5日閲覧。



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