グルジア首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 00:37 UTC 版)
2007年ジョージア反政府デモ(英語版)の直後、ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は、健康上の理由で辞意を表明したズラブ・ノガイデリ首相の後任にグルゲニゼを指名した。2007年11月22日グルジア議会はグルゲニゼを承認した。 こうして政界入りしたグルゲニゼは、サアカシュヴィリとの関係も良好であるが、このことが嵩じて、批判めいたことを一切言わないとの評もある。 2008年南オセチア戦争では、ユダヤ教のラビ、アーロン・レイビ・シュタインマンに天佑を祈願したという。 2008年10月27日サアカシュヴィリ大統領によって解任された。首相解任の背景には、対露戦争の開戦責任を問う声が高まり、サアカシュヴィリに対する批判を回避したという観測がなされた。 私生活ではラリサ夫人との間に、3人の子供がいる。
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