クーパー・クリーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 09:25 UTC 版)
「バーク・ウィルズ探検隊」の記事における「クーパー・クリーク」の解説
1860年、クーパー・クリークはヨーロッパ人の探検家が到達した最奥地であった。1845年にチャールズ・スタートが川を見つけ、1858年にもオーガスタス・グレゴリーが到達していた。バークは11月11日にこの地へ到着した。そして北部の下検分を行う間、キャンプ63(63番目の野営地という意味)を補給地として設営した。疫病をもたらすネズミを避けるため、隊員らはキャンプを移動させる必要に迫られ、さらに川下のバラー・バラー・ウォーターホールに2度目の補給地を設営した。このキャンプはキャンプ65で、彼らは防御柵を立ててこの地をフォート・ウィルズ(ウィルズ砦)と名付けた。 厳しい夏(オーストラリアでは、北半球の冬に相当する期間が夏である)の旅を避けるため、バークは秋(翌年3月)ごろまではクーパー・クリーク補給地で待機するであろうというのが大方の見方であった。しかし、バークは12月16日までそこにとどまっただけで、カーペンタリア湾に急行することを決定した。彼は再び隊を分け、補給所をウィリアム・ブラーエ、ドスト・マホメット、ウィリアム・パットン、トーマス・マクドノーに託した。バーク、ウィルズ、キング、グレイの4人は6頭のラクダと1頭の馬を連れ、ちょうど3か月分の食糧を携行して出発した。
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