クロコデールストア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 10:31 UTC 版)
1958年シンガポールから那覇に戻った。唯一の財産であるワニ革のハンドバッグが高価に売れた事から、知り合いのシンガポールの知人から送ってもらい那覇の国際通りでワニ革・宝石専門店クロコデール・ストアを立ち上げた。地元銀行が金を貸してくれた。糸満出身の金城夏子が亡くなってそのビルを買いとった。店は繁盛し、高等弁務官夫妻も買い物にきた。店で扱う製品も、ワニ革製品ばかりでなく、珊瑚、宝石、ジャワ更紗、紅型(びんがた)と増えていった。審美眼の高い敏子は、現地のものをそのまま受け入れるのでなく厳しい注文をつけた。飛行機の中で木暮実千代という女優がクロコダイルの50ドルのバッグを見つめていたというエピソードが記載されている。店の支配人、金城嘉信はメキシコや、アメリカに宝石を買いこみにいった。ムーンストーンをバケツで買って、一つ一つ装丁したら高く売れたという。1964年に、沖縄製品の珊瑚について、敏子は業界に働き掛けて、国際入札を行っている。地場産業の珊瑚に関しては、暴利を求めなかった。
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