クレメンス5世と「アヴィニョン捕囚」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 07:19 UTC 版)
「フィリップ4世 (フランス王)」の記事における「クレメンス5世と「アヴィニョン捕囚」」の解説
ボルドーの大司教であった新教皇クレメンス5世は、当初からフィリップ4世の強い影響下にあり、その登位もフィリップが臨席した上でリヨンにおいて行われた。クレメンス5世は、一度もローマに入ることなく1309年、ローマ教皇庁をフランス南東部のアヴィニョンに遷した(アヴィニョン教皇庁)。アヴィニョンは当時ナポリ王国の所有する都市であったが、フランスの強い影響下にあり、これを歴史上「アヴィニョン捕囚」と呼んでいる。以後、約70年間、教皇庁はアヴィニョンにあって、教皇権はフランス王の強い影響の下に置かれることとなった。
※この「クレメンス5世と「アヴィニョン捕囚」」の解説は、「フィリップ4世 (フランス王)」の解説の一部です。
「クレメンス5世と「アヴィニョン捕囚」」を含む「フィリップ4世 (フランス王)」の記事については、「フィリップ4世 (フランス王)」の概要を参照ください。
- クレメンス5世と「アヴィニョン捕囚」のページへのリンク