クレアンテス
クレアンテス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 15:17 UTC 版)

クレアンテス[1](クレアンテース[2]、古希: Κλεάνθης、Kleanthēs、前331年頃 - 前232年頃[1])は、古代ギリシア・ヘレニズム期の哲学者。ストア派の二代目学頭[1]。著作に『ゼウスへの讃歌』[2]。
人物
小アジアのアッソス出身[2]。当初は拳闘家だったが、アテナイに来てゼノンの門人となった[2][3]。書板を買えないほどの苦学生であり[4]、夜間に肉体労働(水汲み、粉挽き)をしながら禁欲生活をして学んだ[2][3]。
ゼノンのもとで19年間忠実に学び[5]、ゼノンが前263年に没すると二代目学頭となった[2]。門人に三代目学頭クリュシッポス、マケドニア王アンティゴノス2世がいた[1]。
死因は絶食自殺(歯肉炎を治すため絶食し、治った後「長生きし過ぎた」として絶食を続け餓死)[3][6][5][4][7]。享年はゼノンと同じとされるが定かでない[2][7]。
その他、「ろば」と渾名されたなどの逸話がディオゲネス・ラエルティオスを通じて伝わる[3]。
著作
現存する著作に『ゼウスへの讃歌[2][7][4](ゼウス讃歌[8]、ゼウスの賛歌[9])』があり、ストバイオスを通じて伝わる。日本語訳に山本 1979がある。
約40行の詩であり[4][10]、ゼウスを唯一神的存在として「宇宙は一つの生命体である」といった思想を説く[2]。パウロがアテナイの説教で引用する格言「私たちもまたその(神の)子孫である」(使徒言行録17:28)は、本作の引用とも言われる[11][9]。
その他、『ゼノンの自然学説について』『相応しい行為(カテーコン)について』『神々について』『哲学のすすめ』『友情について』『法律について』『快楽について』『問答法について』『述語について』など数十篇の題名が伝わる[3]。
後世の受容
キケロからは「ストア派の父」と称され、ローマ元老院により生地アッソスに像が建てられた[2]。
ヒュームの対話篇『自然宗教をめぐる対話』では、クレアンテスが経験的な自然神学を説く[12]。
脚注
- ^ a b c d 田中享英 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『クレアンテス』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j 松原國師『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256。529頁。
- ^ a b c d e ディオゲネス・ラエルティオス 著、加来彰俊 訳『ギリシア哲学者列伝〈中〉』岩波書店〈岩波文庫〉、1989年。doi:10.11501/12215422。 ISBN 978-4-0033-6632-5。
- ^ a b c d ジャン=バティスト・グリナ 著、川本愛 訳『ストア派』白水社、2020年。 ISBN 978-4560510339。16頁。
- ^ a b 國方栄二『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』中央公論新社、2019年。 ISBN 9784120051579。60-61頁。
- ^ 國方栄二「死の倫理 : 古代哲学における安楽死の問題」『古代哲学研究室紀要 : HYPOTHESIS』第7号、京都大学西洋古代哲学史研究室、1997年 。11頁。
- ^ a b c 岩崎允胤『ヘレニズムの思想家』講談社学術文庫、2007年。 ISBN 9784061598362。125-127頁。
- ^ 荻野弘之「帝政ローマ時代の哲学 救済と超越」『新しく学ぶ西洋哲学史』ミネルヴァ書房、2022年。 ISBN 9784623094042。(初出: 荻野弘之「帝政ローマ時代の哲学 救済と超越」『西洋哲学の起源』放送大学教育振興会〈放送大学教材〉、2016年。 ISBN 9784595316036。)51頁。
- ^ a b 山本光雄『ギリシア・ローマ哲学者物語』角川書店〈角川選書〉、1979年。233-238頁。
- ^ A・A・ロング 著、金山弥平 訳『ヘレニズム哲学 ストア派、エピクロス派、懐疑派』京都大学学術出版会、2003年。 ISBN 9784876986132。354頁。
- ^ 小畑進「アテネのパウロ」『基督神学』第22号、東京基督教大学、2010年。 NAID 110007559222 。
- ^ ヒューム 著、犬塚元 訳『自然宗教をめぐる対話』岩波書店〈岩波文庫〉、2020年。ISBN 978-4003361979。241頁。
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