クシャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 22:47 UTC 版)
アシイを後のクシャン帝国の中心部族「クシャン族」、あるいは中国資料に記録される大月氏の貴霜翕侯(中国語版)に位置付ける説がある。 中央アジアの遊牧民における民族移動について、最も重要な歴史資料はユスティヌスの『ポンペイウス・トログスによる序言』(第四十二巻の序言)にある「アシアニ(Asiani)がトカリ(Tochari)の王であり、サカラウカェ(Sacaraucae)を滅ぼした(ラテン語: Reges Tocharorum Asiani interiusque Sakaraucarum)」との立場である。これをもって、アシアニとトカリが密接な関連を持つ部族であると結論付けることが可能であり、推し進めて言えば、アシアニはトカリの支配者であったということが言える(ラテン語: Reges Tocharorum Asiani)。我々はアシアニを後に勢力を拡大し大帝国を築くこととなる、有力部族の1つクシャン族に起源付けることが可能である(von Gutschmidt 1888; Haloun 1937; Bachhofer 1941; Daffina 1967)。注目に値することは、ユスティヌスによってアシアニがトカリを支配したと述べられるのと同時に、中国資料においては、クシャン族(貴霜翕侯)を月氏の5つの諸侯の内で最大としている点である。 — カジム・アブドゥラエフ 『Nomad Migrations in Central Asia』
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