ギュイエンヌ公国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 15:10 UTC 版)
ギュイエンヌ公の名称は、宗主国フランスの征服で弱体化したアキテーヌ公国に与えられた。この名称は1229年、ルイ9世とトゥールーズ伯レーモン7世が結んだパリ条約(ラングドックの大部分をフランスが併合し、アルビジョア十字軍が終了した)において初めて現れた。1188年から1453年までイングランド王がギュイエンヌ公を兼ねたが、カスティヨンの戦い後フランス王がギュイエンヌ公を名乗るようになった。シャルル・ド・ヴァロワが1469年に特権を与え、1472年に嫡子がないままシャルルが死んで、公国は王国へ戻った。
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