キング・オブ・キングス (1961年の映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 05:03 UTC 版)
| キング・オブ・キングス | |
|---|---|
| King of Kings | |
| |
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| 監督 | ニコラス・レイ |
| 脚本 | フィリップ・ヨーダン |
| 製作 | サミュエル・ブロンストン |
| 出演者 | 後述 |
| 音楽 | ロージャ・ミクローシュ |
| 撮影 | マニュエル・ベレンガー ミルトン・R・クラスナー フランツ・プラナー |
| 編集 | ハロルド・F・クレス |
| 配給 | MGM映画 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 165分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $5,037,000[1] |
| 興行収入 | |
『キング・オブ・キングス』(原題:King of Kings)は、1961年制作のアメリカ合衆国の映画。
イエス・キリストの生涯を描いた作品。セシル・B・デミル監督が1927年に制作した同名映画をニコラス・レイ監督がリメイクしたものと言われているが、ベルナール・エイゼンシュッツの『ニコラス・レイ‥ある反逆者の肖像』(吉村和明:訳)によれば、そもそもこの作品のアイデアとスクリプトは、プロデューサーのサミュエル・ブロンストンの前作『大海戦史』(1959年)を監督したジョン・ファロー(ミア・ファローの父)のものだったが、使えるレベルではなかったので、ニコラス・レイが旧知のフィリップ・ヨーダンを呼び、手直しさせたものであった。
題名もファロウの時は『人の子』、レイと契約するときは『剣と十字架』であった。これをヨーダンが『キング・オブ・キングス』とすることを提案した。当然デミル側から許諾を受けるという動きもあって、配給の10パーセントを提示する案もあったが、試しにアメリカ映画協会にタイトルを登録してみると、デミル側は未登録であったため、ブロンストン側は印紙代6セントでこの題名を手に入れたという。
キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語吹替 |
|---|---|---|
| NETテレビ版 | ||
| イエス | ジェフリー・ハンター | 中田浩二 |
| ヨハネ | ロバート・ライアン | 納谷悟朗 |
| バラバ | ハリー・ガーディノ | 大塚周夫 |
| マリア | シオバン・マッケンナ | 京田尚子 |
| ピラト | ハード・ハットフィールド | 羽佐間道夫 |
| ヘロデ | フランク・スリング | 家弓家正 |
| ユダ | リップ・トーン | 加茂嘉久 |
| マクダラのマリア | カルメン・セビル | 中西妙子 |
| サロメ | ブリジット・バズレン | 鈴木弘子 |
| ルシアス | ロン・ランデル | 森川公也 |
| クロデア | ヴィヴェカ・リンドフォース | 平井道子 |
| ヘロデア | リタ・ガム | 渡辺典子 |
| ヨセフ | ジェラール・ティチー | 藤本譲 |
| カヤパ | ガイ・ロルフ | 千葉順二 |
| ペトロ | ロイヤル・ダノ | |
| ヘロデ大王 | グレイゴル・アスラン | 塩見竜介 |
| ナレーション | オーソン・ウェルズ | 矢島正明 |
| 不明 その他 |
大木民夫 加藤正之 八奈見乗児 田中亮一 石森達幸 藤城裕士 |
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| 演出 | 有村昌記 | |
| 翻訳 | 宇津木道子 | |
| 効果 | PAG | |
| 調整 | 遠矢征男 | |
| 制作 | 有村放送プロモーション | |
| 解説 | 淀川長治 | |
| 初回放送 | 1973年12月23日 『日曜洋画劇場』 |
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脚注
外部リンク
- キング・オブ・キングス - allcinema
- キング・オブ・キングス - KINENOTE
- King of Kings - オールムービー(英語)
- King of Kings - IMDb(英語)
- キング・オブ・キングス_(1961年の映画)のページへのリンク