ガウリー・シャンカールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ガウリー・シャンカールの意味・解説 

ガウリシャンカール

(ガウリー・シャンカール から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 19:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ガウリシャンカール
Gauri Shankar
Jomo Tseringma
ドゥラルトク英語版から見たガウリシャンカール
最高地点
標高 7,134 m (23,406 ft) [1][2][notes 1]
プロミネンス 1,600 m (5,200 ft) [1][notes 1]
総称 ウルトラ・プロミネント峰
座標 北緯27度57分12秒 東経86度20分09秒 / 北緯27.95333度 東経86.33583度 / 27.95333; 86.33583座標: 北緯27度57分12秒 東経86度20分09秒 / 北緯27.95333度 東経86.33583度 / 27.95333; 86.33583[1]
山岳名
翻訳 女神ガウリー(パールヴァティー)とその夫シャンカール(シヴァ (ネパール語サンスクリット))
地形
ガウリシャンカール
Gauri Shankar
ネパールにおける位置
ガウリシャンカール
Gauri Shankar
ガウリシャンカール
Gauri Shankar (バグマティ・プラデーシュ州)
所在地 ネパール ドラカ郡
所属山脈 ヒマラヤ山脈
登山
初登頂 1979年5月8日、John Roskelley、Dorje Sherpa
最容易
ルート
雪・氷
プロジェクト 山

ガウリシャンカールネパール語: गौरीशंकर)は、ネパールドラカ郡にあるヒマラヤ山脈ロルワリン・ヒマール英語版の山である。標高7,134メートルで、ロルワリン・ヒマールの中ではメルンツェ英語版(7,181メートル)に次ぐ第2の高峰である。ネパール標準時UTC+5:45)は、この山を通る子午線を基準としている[3]

位置

ガウリシャンカールは、カトマンズの北東約100キロメートルに位置するロルワリン・ヒマールの西端近くにある。カトマンズとエベレストのほぼ中間に位置し、カトマンズからも見える。山頂の西には、ロルワリン・ヒマールの西の境界であるボテ・コシの谷がある。ロルワリン・ヒマール最高峰のメルンツェは北にある。南側からタマコシ川英語版の支流のロルワリン・チュードイツ語版が流れており、テシ・ラプチャ峠を越えてクンブ地方英語版に行くことができる[4]

名称

名前の由来は、ヒンドゥー教の女神であるパールヴァティーの別名のガウリーと、その夫のシヴァの別名のシャンカールであり、ネパールの人々がこの山を神聖視していることを表している。シェルパ族はこの山をチョモ・ツェリンマ(Jomo Tseringma)と呼んでいる[5]

「ガウリシャンカール」という名前は、19世紀中頃のドイツを中心とするヨーロッパにおいて、世界最高峰のエベレストを指す言葉として使われていた。これは、ドイツのヒマラヤ探検家ヘルマン・シュラーギントヴァイト英語版アドルフ・シュラーギントヴァイトの弟)が、世界最高峰であることが判明したばかりのピーク15(現在のエベレスト)と当山を混同し、この山の名前が「ガウリシャンカール」であると地元住民に教えてもらったことから、「世界最高峰ガウリシャンカール」と勘違いして発表したためである[6]

山頂

この山には2つの山頂があり、北側の高い方の山頂はシャンカール(シヴァの別名)、南側の山頂はガウリー(パールヴァティーの別名)と呼ばれている。ボテ・コシの谷から5キロメートル程度しか離れておらず[7][8]、四方を急峻な斜面と長い角状の尾根に囲まれている[4][7]

登頂史

1950年代から1960年代にかけてガウリシャンカールへの登頂が試みられたが、天候や雪崩、登攀困難な氷壁などのため、全ての登山隊が登頂に失敗した[9] 。1965年から1979年までは、公式に登頂が禁止されていた。

1979年に登頂が許可され、5月8日アメリカとネパールの登山隊が西壁を経由して初登頂に成功した[5]。このルートは、技術的に非常に難しいものだった。ネパール観光省の登頂許可証では、両国から同数の登山者が登頂チームに参加しなければならないと規定されており、初登頂にはアメリカ人のジョン・ロスケリー英語版とネパール人シェルパのドルジェが参加した[4]

同年、ピーター・ボードマン英語版率いるイギリスとネパールの登山隊が、長く困難な南西尾根からの登頂に挑戦した。11月8日、ボードマン、ティム・リーチ、ガイ・ニードハルト、ペンバ・ラマの4人は、南のガウリ(7,010メートル)に到達した[10]。イギリス隊はシャンカールへは行かなかった。

1983年スロベニアの登山隊が登頂した[11][12]11月1日にSlavko Cankar(隊長)、Bojan Šrot、Smiljan Smodišが、その3日後にFranco PepevnikとJože Zupanが到達した。スロバキア隊は南壁の左側を登り、南西稜に到達した後、ガウリー山頂へ進んだ。スロベニア隊もまた、シャンカールへは行かなかった[13]

ヒマラヤン・インデックスによれば、主峰シャンカールへの登頂は、1979年の初登頂の後2回行われている[14]。2回目の登頂は1984年春、ワイマン・カルブレスとアン・カミ・シェルパが南西面の尾根に設けられた新ルートを使って行った。3回目の登頂は、1986年1月、韓国のチェ・ハンジョとシェルパのアン・カミによって行われ、初の冬期登頂となった[15]

2013年秋、4人のフランス人登山家によって、南壁の完全な登頂が実現した。10月21日午後4時に南壁の頂上に到達したが、その先のガウリー山頂(7,010メートル)への登頂は断念した。南壁の下まで降りるのに11時間を要した[11]

文学での言及

ロシアの作家アンドレイ・ベールイの小説『ペテルブルグ英語版』の中で、一日に起きたたくさんの出来事の喩えとしてガウリシャンカールに言及されている[16]

ギャラリー

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b この山の標高とプロミネンスについては、情報源によって大きく異なる。例えばPeakbaggerでは標高7134メートル、プロミネンス1709メートルとなっている。

出典

  1. ^ a b c High Asia II: Himalaya of Nepal, Bhutan, Sikkim and adjoining region of Tibet”. Peaklist.org. 2014年5月30日閲覧。
  2. ^ "Gaurishankar, China/Nepal". Peakbagger.com. 2014年5月30日閲覧
  3. ^ Gurung, Trishna. “15 minutes of fame”. Nepali Times. 2012年9月3日閲覧。
  4. ^ a b c Fanshawe, Andy; Venables, Stephen (1995). Himalaya Alpine-Style. Hodder and Stoughton 
  5. ^ a b Read, Al (1980). “The Nepalese-American Gaurishankar Expedition”. American Alpine Journal (American Alpine Club) 22 (2): 417. http://publications.americanalpineclub.org/articles/12198041700/The-Nepalese-American-Gaurishankar-Expedition 2015年1月3日閲覧。. 
  6. ^ Günter O. Dyhrenfurth: Zum dritten Pol: Die Achttausender der Erde. München, 1952, S. 28f (Zum dritten Pol - Google ブックス).
  7. ^ a b Ohmori, Koichiro (1994). Over The Himalaya. Cloudcap Press (The Mountaineers). ISBN 978-0938567370 
  8. ^ DEM files for the Himalaya (Corrected versions of SRTM data)
  9. ^ Neate, Jill (1989). High Asia: An Illustrated History of the 7000 Metre Peaks. The Mountaineers. ISBN 978-0898862386 
  10. ^ Boardman, Peter (1983). Sacred Summits. London: Arrow Books, LTD. ISBN 978-0099310402 
  11. ^ a b Griffen, Lindsay (2013年11月5日). “South face of Gaurishankar finally climbed”. British Mountaineering Council. 2015年1月3日閲覧。
  12. ^ An interview with Aco Pepevnik” (1997年6月16日). 2015年1月3日閲覧。
  13. ^ Griffin, Lindsay (2014). “Gaurishankar (to Point 6,850m), south face, Peine Prolongée”. American Alpine Journal (American Alpine Club). http://publications.americanalpineclub.org/articles/13201212619/Gaurishankar-to-Point-6850m-south-face-Peine-Prolonge 2021年11月7日閲覧。. 
  14. ^ Himalayan Index”. Alpine Club. 2015年1月3日閲覧。
  15. ^ “AAJ online”. American Alpine Journal: 237. (1986). オリジナルの20 January 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150120010458/http://www.americanalpineclub.org/p/aaj 2015年1月3日閲覧。. 
  16. ^ Petersburg”. booksvooks.com. 2021年11月7日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ガウリー・シャンカールのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ガウリー・シャンカールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガウリー・シャンカールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのガウリシャンカール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS