ガイウスクラウディウスプルケル (紀元前177年の執政官)とは? わかりやすく解説

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ガイウス・クラウディウス・プルケル (紀元前177年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 15:18 UTC 版)


ガイウス・クラウディウス・プルケル
C. Claudius Ap. f. P. n. Pulcher[1]
出生 不明
死没 紀元前167年
出身階級 パトリキ
一族 プルケル
氏族 クラウディウス氏族
官職 アウグル紀元前195年-167年)
外人担当補充法務官紀元前180年
執政官紀元前177年
プロコンスル紀元前176年
トリブヌス・ミリトゥム紀元前171年
監察官紀元前169年
レガトゥス紀元前167年
指揮した戦争 対イストリア戦争
対リグリア戦争
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ガイウス・クラウディウス・プルケルラテン語: Gaius Claudius Pulcher、 ? - 紀元前167年)は、共和政ローマの政務官紀元前177年コンスル(執政官)を、紀元前169年ケンソル(監察官)を務めた。父はアッピウス・クラウディウス・プルケル

経歴

紀元前195年アウグルに就任している[2]

紀元前180年、外国人担当プラエトルのティベリウス・ミヌキウス・モッリクルスが早期に死去し、補充プラエトルに選ばれ、ローマ市で起きていた毒殺事件の調査をした[3]

紀元前177年、コンスルに選出され、イストリア半島に遠征、アエプロ王を降伏させると、更にリグリアの反乱を鎮圧して凱旋式を挙行し[4]、「同盟市に関するクラウディウス法(Lex Claudia de sociis、紀元前189年のケンスス(国勢調査)以降ローマ市に移住したラテン人と同盟市市民に、11月までに帰国するよう定めた法)を成立させた[5]。そして選挙を主宰すると、ムティナからリグリア人を追い払うためガリアへ行き[6]、翌年もインペリウムを延長され、ムティナを奪還してリグリア人の反乱を鎮圧した[7]

紀元前171年プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前171年の執政官)配下のトリブヌス・ミリトゥムとして、ボイオーティアのハリアルトゥスを包囲し、プラエトルのガイウス・ルクレティウス・ガッルスに引き継いだ[8]

紀元前169年、執政官時代の同僚ティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨルと共にケンソルに選ばれ、マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)プリンケプス・セナトゥス(元老院第一人者)に指名したが、議員リストやエクィテスの審査を厳しく行ったため、護民官の一人から訴えられ、グラックスのお陰で僅差で無罪となった[9]ティトゥス・リウィウスによると、解放奴隷をどのトリブス(選挙区)に登録するかが問題となっていたが、プルケルとグラックスの間で妥協点を見いだし、都市トリブスの一つに全員登録することが決定され、元老院で二人に感謝する決議が行われたという[10]

紀元前167年アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス・ルスクスクィントゥス・ファビウス・ラベオクィントゥス・マルキウス・ピリップス (紀元前186年の執政官)ガイウス・リキニウス・クラッススグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前162年の補充執政官)ら執政官経験者と共に、ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスマケドニア再編を補佐する十人委員会の一人となり、アヘノバルブスと共にアカイア同盟へ赴き、指導者をローマ市へ召喚した[11]。同年死去し、後継アウグルにティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス (紀元前150年の執政官)が選ばれている[12]

家族

出典

  1. ^ MRR1, p. 397.
  2. ^ MRR1, p. 342.
  3. ^ MRR1, p. 388.
  4. ^ MRR1, pp. 397–398.
  5. ^ Rotondi, p. 280.
  6. ^ MRR1, p. 398.
  7. ^ MRR1, p. 401.
  8. ^ MRR1, p. 417.
  9. ^ MRR1, p. 424.
  10. ^ リウィウス『ローマ建国史』45.15
  11. ^ MRR1, p. 435.
  12. ^ MRR1, p. 436.

参考文献

  • Giovanni Rotondi (1912). Leges publicae populi romani. Società Editrice Libraria 
  • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 

関連項目

公職
先代
マルクス・ユニウス・ブルトゥス
アウルス・マンリウス・ウルソ
執政官
同僚:ティベリウス・センプロニウス・グラックス I

紀元前177年

次代
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・ヒスパッルス
クィントゥス・ペティッリウス・スプリヌス
先代
クィントゥス・フルウィウス・フラックス
マルクス・フルウィウス・ノビリオル
紀元前174年 LI
監察官
同僚:ティベリウス・センプロニウス・グラックス
紀元前169年 LII
次代
ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス
クィントゥス・マルキウス・ピリップス
紀元前164年 LIII



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