カロライン号事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 05:23 UTC 版)
カロライン号事件は1837年12月29日に当時イギリス領であったカナダに停泊していたアメリカ合衆国船籍のカロライン号をイギリス海軍が急襲した事件である。自国民の殺害などを理由にアメリカはイギリスに抗議したが、イギリスはイギリスからの独立を企てていた反徒がカロライン号を雇っていたとして、イギリスの正当な自衛権行使であると主張した。 しかしアメリカ国務長官のダニエル・ウェブスターはイギリスに対しカロライン号への攻撃が「必要性」と「均衡性」の要件を満たすことの証明を要求し、最終的にイギリスの陳謝によって事件は収拾した。このときウェブスターが証明を要求した「必要性」と「均衡性」の要件は後に国際慣習法上の自衛権の要件として確立していったが、このウェブスターの主張は「急迫性」と「均衡性」の要件を満たすことができれば正当な自衛権行使と見なしうるとするものであり、この立場に従えば「武力攻撃が発生」していない段階でなされる先制的自衛措置も、「急迫性」と「均衡性」の要件を満たす限り国際法上容認されるとする見解もある。 詳細は「キャロライン事件」を参照
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