オリンピック選手選考
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:47 UTC 版)
「国際オリムピック大会選手予選会」の記事における「オリンピック選手選考」の解説
1912年(明治45年)2月15日、大日本体育協会は代表選考を実施し、この予選会の成績を基に、短距離走の三島弥彦とマラソンの金栗四三を日本代表選手に選抜した。同時に派遣する役員も決定し、団長に嘉納治五郎、監督に大森兵蔵が就任した。 代表選考に関して永井道明は、最初から世界記録が出なくてもIOC委員がいる以上、何としても選手を派遣したかったといい、最終候補には三島・金栗のほか、佐々木正清と井手伊吉らが残ったと語っている。三島・金栗の2人になったのは、経費その他の都合であった。特に三島の場合、渡航費1,800円を問題なく自己負担できることが選考に大きく働いた。
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