オリベの敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/07 17:22 UTC 版)
一方、ウルキーサとガルソンの軍勢はモンテビデオ近くでオリベの軍勢を包囲した。同盟軍の軍勢は約1万5千人で、オリベの8,500人をはるかに上回った。さらにブラジル軍が接近してきたため、オリベは勝ち目がないと悟り、10月19日に戦闘せずに降伏した。その後、オリベはパソ・モリーノ(スペイン語版)に隠棲した。 ブラジル艦隊はラプラタ川とその支流に散らばってオリベの敗残兵がアルゼンチンに逃亡することを防いだ。ウルキーサはグレンフェルに捕虜の殺害を提案したが、グレンフェルはそれを拒否した。結局、捕虜たちは殺害されず、アルゼンチン人はウルキーサの軍勢に、ウルグアイ人はガルソンの軍勢に編入された。 ブラジル軍はそのままブランコ党が支配した領土を簡単に占領し、オリベの残党との小競り合いにも勝利した。11月21日、ブラジル、ウルグアイ、エントレ・リオス、コリエンテスの代表は別の同盟を結成、「アルゼンチンの人民をロサス知事の暴政による圧迫から解放する」ことを目的とした。
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