オスマン帝国におけるギリシャ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
「ギリシャの歴史」の記事における「オスマン帝国におけるギリシャ人」の解説
オスマン帝国ではギリシャ人は「レアヤー」の身分に置かれた。これは支配される側を意味しており、納税義務を負う被支配者身分のほとんどがこれに含まれていた。ギリシャ人の一部は支配者層である「アスケリ」身分に所属していたが、これは正教会の上位身分とフォナリオティスらで占められていた。しかし一部補助軍事を担っていたギリシャ人は「アスケリ」と「レアヤー」の間に所属、これは「マルトロス」と呼ばれ、オスマン帝国の辺境の防衛を任された。そして彼らはギリシャ独立戦争の際には独立軍の一部を形成することとなった。なお「レアヤー」の中から土地を獲得したことにより地主化していったものは「ゴジャ・バシュ」と呼ばれる層を形成、私的な武装力を持つこともあった。
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