エリミ人、アテナイをペテンにかける
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:16 UTC 版)
「セゲスタ包囲戦」の記事における「エリミ人、アテナイをペテンにかける」の解説
セゲスタは60タレントの銀を送ったが、これはアテナイにとっては三段櫂船60隻を1か月間運用するに十分であった。エリュクスの寺院には多大な財宝があり、アテナイ人使節団はセゲスタや他の都市で、金銀の皿を使った夕食を振舞われた。フェニキア人やカルタゴ人は詐欺師との評判を得ていたが(おそらくはイベリアから金銀を安価に仕入れ、その富でギリシアの産品を購入しまた艦隊を維持して一部の市場からギリシア人を締め出していたためと思われる)、エリミ人もその隣人から多少は計略を学んでいたようである。アテナイの使節に富裕さを印象づけるため、彼らは同じ食器を多くのパーティーで何度も使いまわし、近隣の都市から珍しい品物を集めてギリシアからの客人をもてなした。欺かれたアテナイは、セゲスタとレオンティノイ救援のためにシケリア遠征(en)を行うが、セリヌスを攻撃するのではなく、シュラクサイを攻撃した。しかしこれには失敗して紀元前413年に撤退する。結果、セゲスタはシケリアのギリシア人にとって明確な敵となった。セリヌスは紀元前411年にセゲスタを攻撃し勝利した。
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