エリミ人兵士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:16 UTC 版)
ヒミルコは紀元前405年にはカルタゴ領およびエリミ人都市に守備兵をおいていたが、ディオニュシオスがセゲスタを包囲した際にカルタゴ兵がいたかは不明である。シュラクサイやアクラガスのようなシケリアの大規模都市国家は10,000-20,000の市民を兵として動員でき、ヒメラやメッセネでも3,000 – 6,000を動員できた。セゲスタも同程度の兵力を持っており、おそらくは同盟都市からの援軍があったと思われる。セゲスタの騎兵はセリヌスのものよりは劣っていたと思われる(紀元前410年のセリヌスとの戦いでは、カルタゴが騎兵を提供した)。ギリシアの軍装がどの程度エリミ人に影響を与えていたかは不明であるが、セゲスタは軽歩兵も有していたと思われる。攻城戦では老人や女性も投擲兵として戦った。
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