エディット・ピヒト=アクセンフェルトとは? わかりやすく解説

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エディット・ピヒト=アクセンフェルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 03:33 UTC 版)

エディット・ピヒト=アクセンフェルト
基本情報
生誕 (1914-01-01) 1914年1月1日
出身地 ドイツ フライブルク
死没 (2001-04-19) 2001年4月19日(87歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ピアノ

   

エディット・ピヒト=アクセンフェルトドイツ語: Edith Picht-Axenfeld1914年1月1日 フライブルク2001年4月19日 ヒンターツァルテン)は、ドイツチェンバロ奏者・ピアニスト。特にヨハン・ゼバスティアン・バッハの演奏が知られていた。

経歴

バーデン大公国フライブルク市で、フライブルク大学教授の眼科医の権威、テオドール・アクセンフェルトの子として生まれた[1]。5歳でピアノを始め、音楽学校を卒業後、ピアノをルドルフ・ゼルキンに、オルガンをヴォルフガング・アウラー、アルベルト・シュヴァイツァーに師事した。

1935年ベルリンでデビュー。1937年に第3回ショパン国際ピアノコンクールで第6位特別賞(ショパン賞)を受賞。1947年から1980年まで、フライブルク音楽大学で、教授を務めた(ピアノと初期鍵盤音楽を担当)。その後欧米各国やアジアで広い演奏活動を展開。日本にもたびたび来日し、草津国際音楽アカデミー&フェスティバルには毎年参加したほか、東久留米市の聖グレゴリオの家などで演奏会も開いた。

2001年、フライブルク近郊の自宅で心不全のため、87歳で死去した。

功績

親族

  • 父:テオドール・アクセンフェルトは眼科医。フライブルク大学教授。
  • 夫:ゲオルク・ピヒトは哲学者
  • 子:ロベルト・ピヒトは社会学研究者。欧州大学副学長を務めた(2004~2007年)。
  • ロベルト・ピヒトを含めて7人の子供がいる。

録音・演奏

脚注

  1. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、71ページ、ISBN 4-7872-7208-X

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