エイダ・コールマンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エイダ・コールマンの意味・解説 

エイダ・コールマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 21:35 UTC 版)

1920年ごろのエイダ・コールマン

エイダ・コールマンAda Coleman1875年1966年)は、女性のバーテンダーロンドンサヴォイ・ホテルでチーフ・バーテンダーを務めており、カクテル史上において、最も優れた女性バーテンダーの1人に挙げられる[1]。通称はコリーColey[2][3]

概要

カクテル「ハンキー・パンキー

1903年にサヴォイ・ホテル内の「アメリカン・バー」のチーフ・バーテンダーに就任し、右腕ともいえるローラ・バージェスとともに1926年まで務めた[2]

アメリカン・バーを訪れる客に様々なカクテルを作り、中でも喜劇役者チャールズ・ホートリー英語版のために創作したとされるカクテル「ハンキー・パンキー」で知られる[2][3][4]。ハンキー・パンキーは21世紀でも、世界のバーでよく飲まれているカクテルベスト50の常連である[4]

経歴

サヴォイ・ホテル正面エントランス

コールマンは、サヴォイ・グループが運営していたゴルフクラブで働く父親の下、1875年に生まれ、父親から「手に職を持つように」と教えらえて育つ[3]

1898年にサヴォイ・グループのあるホテルのフラワー・ショップで働き始める[4]。1900年頃には同じくサヴォイ系列のクラリッジ・ホテル英語版(ロンドン・メイフェア)のバーで勤務を始め、酒類やカクテルの知識をはじめとしたバーテンディングの基礎を学ぶ[3][4]。20世紀初頭のロンドンでは、ホテルバーで働く人間の半分弱は女性であり、「バーテンダー」ではなく「バーメイド」と呼ばれてた[4]。商人や工場労働者階級の若い子女にとっては、バーメイドの仕事は長時間労働にも関わらず「他の仕事と比べると、仕事の内容も単調でなく、収入も良い」職業であった[4]。一方で、女性の職業としては「バーの仕事は肉体的、道徳的によくない」という考えもあり、女性を排除する動きもあった[4]。しかし、当時のサヴォイ・ホテルグループのオーナー・ルパート・ドイリー・カート英語版は1903年にサヴォイ・ホテルの「アメリカン・バー」のチーフ・バーテンダーにいきなりコールマンを抜擢した[4]

マーク・トウェインマレーネ・ディートリヒチャーリー・チャップリンといったセレブな顧客たちから厚い信頼を得たコールマンは、「コリー」という愛称で呼ばれるようになる[3][4]

1925年にサヴォイ・ホテルはコールマンとバージェス両名のアメリカン・バーからの引退を突然発表する[4]。この引退は、コールマンやバージェス本人からの申し出ではなく、顧客からのクレームが遠因となっている[4]1920年にアメリカ合衆国で施行された禁酒法により、サヴォイ・ホテルにもアルコールを求まるアメリカ人客が増えていたが、アメリカ人は女性の社会進出に保守的であり、「バーは女性が働くにはふさわしくない」と女性であるコールマンとバージェスの作るカクテルや存在そのものを敬遠するようになり、そうしたクレームに屈する形でホテル・オーナーがコールマンとバージェスを排除してしまった[4]。コールマンの後任には1921年からアメリカン・バーで働いていたハリー・クラドックがチーフ・バーテンダーに就任することになる[4]

クラドックのコールマンに対する評価や思いは記録に残っていないが、後年クラドックが編纂したカクテルブック『サヴォイ・カクテルブック』には「ハンキー・パンキー」が収録されている[4]

アメリカン・バーを去った後のコールマンについては、詳しくは伝わっていない[4]。サヴォイ・ホテルのフラワー・ショップで再び働いていたという話もあるが、これを否定する説もある[4]。晩年は別のホテルのクローク・スタッフとして働いていたが、1966年に死亡した[4]

関連するカクテル

出典

  1. ^ 「ハンキー・パンキー」『カクテルをたしなむ人のレッスン&400レシピ』日本文芸社、267頁。ISBN 978-4537218695 
  2. ^ a b c 130年の歴史あるサヴォイの名バー、時代を作る女性たち。”. madame FIGARO.jp (2021年9月23日). 2024年11月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e 石倉一雄 (2012年5月9日). “VI 女性バーテンダーのさきがけ(1)欧米編”. FoodWatchJapan. 2024年11月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 荒川英二 (2022年6月28日). “カクテル・ヒストリア第22回『エイダからシャノンへ、受け継がれる魂』”. LIQUL. 2024年11月10日閲覧。
  5. ^ EMILY BELL (2016年3月17日). “Ada Coleman: One Of History’s Most Famous Female Mixologists”. VinePair. 2024年11月11日閲覧。
  6. ^ White Lady Cocktail” (英語) (2023年2月26日). 2024年11月11日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エイダ・コールマンのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エイダ・コールマン」の関連用語

エイダ・コールマンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エイダ・コールマンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエイダ・コールマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS