アントワーヌ・バラールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 学者・研究者 > 化学者 > 化学者 > アントワーヌ・バラールの意味・解説 

アントワーヌ・バラール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 16:18 UTC 版)

アントワーヌ・バラール

アントワーヌ・ジェローム・バラール(Antoine Jerone Balard, 1802年9月30日 - 1876年3月30日)はフランス化学者。専門は臭素の諸性質、塩素の諸性質。

生涯

1802年9月30日にフランスモンペリエに生まれる。パリの薬学の学校に進学し、以後、薬剤師としてスタートした。しかし彼は故郷の町に戻り、地元で化学アシスタントとして勤めた。アシスタントと同時にロイヤル・カレッジや薬学校の教授にも就任した。1826年、郷里のかん水について研究中に暗赤色で悪臭のある液体を発見。臭素の発見だった。同年にドイツでもカール・レーヴィヒが独自にこれを発見していたが、バラールは先んじて"Muride"の名で発表した。この研究成果により彼の評判は上がり、1842年にソルボンヌ大学教授となり1851年にはコレージュ・ド・フランスの教授となった。バラールはそのほかにも次亜塩素酸一酸化塩素の発見もしている。1830年ロイヤル・メダル受賞。

1876年パリで死去した。

関連項目

参考

  • Antoine Jerone Balard




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントワーヌ・バラール」の関連用語

アントワーヌ・バラールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントワーヌ・バラールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントワーヌ・バラール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS