アレクサンドラ・イオシフォヴナとは? わかりやすく解説

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アレクサンドラ・イオシフォヴナ

(アレクサンドラ・ヨシフォヴナ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 07:42 UTC 版)

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アレクサンドラ・イオシフォヴナ
Александра Иосифовна
アレクサンドラ・イオシフォヴナ(ヴィンターハルター画)

出生 1830年7月8日
ザクセン=アルテンブルク公国アルテンブルク
死去 (1911-07-06) 1911年7月6日(80歳没)
ロシア帝国サンクトペテルブルク
埋葬 ロシア帝国サンクトペテルブルク、ヴェリコクニャジェスカヤ・ウシパリニツァ(大公霊廟)
配偶者 コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公
子女 ニコライ
オリガ
ヴェラ
コンスタンチン
ドミトリー
ヴャチェスラフ
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ
母親 アマーリエ・フォン・ヴュルテンベルク
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アレクサンドラ・イオシフォヴナヨシフォヴナとも、ロシア語: Александра Иосифовна, ラテン文字転写: Alexandra Iosifovna, 1830年7月8日 - 1911年7月6日)は、ロシアの皇族、ロシア大公妃ニコライ1世の次男コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公の妻。結婚前の名前は、アレクサンドラ・フリーデリケ・ヘンリエッテ・フォン・ザクセン=アルテンブルク(Alexandra Friederike Henriette von Sachsen-Altenburg)。

人物

ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフとその妃であるアマーリエ・フォン・ヴュルテンベルクの第5子として、アルテンブルク(現在のテューリンゲン州、アルテンブルガー・ラント郡)で生まれた。長姉アレクサンドリーネ・マリーはハノーファー王ゲオルク5世の妃。コンスタンティンの姉、ヴュルテンベルク王妃オリガ・ニコラエヴナの仲介により、シュトゥットガルトでコンスタンチンと見合いをし、婚約した。

1848年9月にコンスタンチンと結婚。6子の母となった。





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