アルマ・アタ宣言_(1991年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アルマ・アタ宣言_(1991年)の意味・解説 

アルマ・アタ宣言 (1991年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 13:51 UTC 版)

アルマ・アタ宣言
種類独立国家共同体(CIS)の建国宣言と根本方針を制定する条約
署名1991年12月21日
署名場所ソビエト連邦カザフスタンアルマ・アタ
発効1991年12月21日
署名国

アルマ・アタ宣言(アルマ・アタせんげん)は独立国家共同体(CIS)の建国宣言と根本方針であった。ロシアウクライナベラルーシの指導者は、1991年12月8日にベロヴェーシ合意に合意していて、ソビエト連邦を崩壊させCISを建国した。1991年12月21日、アルメニアアゼルバイジャン、ベラルーシ、カザフスタンキルギスモルドバ、ロシア、タジキスタントルクメニスタン、ウクライナ、ウズベキスタンはアルマ・アタ宣言に合意し、CISに参加した。後者の合意は、追加された旧ソ連加盟国8か国同様に元々のベロヴェーシ合意署名国3か国を含んでいた。バルト3国リトアニアラトビアエストニアは1940年のソ連による併合は違法に組み込まれたものであるとして参加を拒否しグルジア(ジョージア)も、参加を見送った[1]

この宣言は宣言と3点の合意、別個の付属文書からなっていた。加えてエフゲニー・シャポシニコフ将軍(ソビエト連邦国防相)は独立国家共同体統合軍ロシア語版の事実上の司令官として確認された。付属条約は「核兵器に関する相互措置について」ベラルーシとカザフスタン、ロシア、ウクライナの間で調印された[2]

国家元首と政府の評議会に関する合意

国家元首と政府の評議会の参加と運営に関する暫定合意は、1991年12月30日に独立国家共同体の加盟国間で締結された。

戦略軍に関する合意

1991年12月30日に独立国家共同体の11か国で締結された。

軍隊と国境警備隊に関する合意

1991年12月30日に独立国家共同体加盟国間で締結された。

関連項目

参照

  1. ^ THE ALMA-ATA DECLARATION”. Federal Research Division / Country Studies / Area Handbook Series / Belarus / Appendix C. Library of Congress. 2001年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧。
  2. ^ (Угода про спільні заходи щодо ядерної зброї). Verkhovna Rada. 21 December 1991

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アルマ・アタ宣言_(1991年)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルマ・アタ宣言_(1991年)」の関連用語

アルマ・アタ宣言_(1991年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アルマ・アタ宣言_(1991年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルマ・アタ宣言 (1991年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS