アルフレッド・ニュートンとは? わかりやすく解説

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アルフレッド・ニュートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 04:18 UTC 版)

アルフレッド・ニュートン
1890年の肖像
人物情報
生誕 (1829-06-11) 1829年6月11日
スイスジュネーブ
死没 (1907-06-07) 1907年6月7日(77歳没)
イングランドケンブリッジ
国籍 イギリス
学問
活動地域 ラップランドアイスランドスヴァールバル諸島西インド諸島アメリカなど
研究分野 生物学解剖学
研究機関 ケンブリッジ大学
指導教員 モードリン・カレッジ
主な業績 ロドリゲス島固有種Newton's parakeetの論文(1872年)(1875年絶滅 Psittacula exsul
学会 王立協会ロンドン動物学会
主な受賞歴 1900年ロイヤル・メダルリンネ・メダル
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アルフレッド・ニュートン (Alfred Newton, 1829年6月11日 ジュネーブ1907年6月7日 ケンブリッジ)は、イギリス動物学者鳥類学者。国外で調査後、母校で研究職に就くと、ケンブリッジ大学はえぬきの初の動物学教授となり、1866年から没する1907年まで比較解剖学教授職を務める。

この間に1856年創刊のイギリス鳥学会機関誌で査読付き専門誌の編集長(Ibis 1865年–1870年)を務めたほか、『ブリタニカ百科事典』第9版(1875年 - 1889年全24巻)の鳥類の項目を執筆。また『鳥類事典』全4巻(Dictionary of Birds 1893年–1896年)をまとめた。

1900年にはロイヤル・メダル王立協会)ならびにリンネ・メダルリンネ協会)を受ける。イギリス鳥学会の創設メンバーのひとりであった。王立協会フェロー(FRS、HFRSE)、ロンドン動物学会フェロー。

略歴

父ウィリアム・ニュートン、母エライザ・ミルンズの間に1829年、ジュネーブで生まれる。1854年にケンブリッジ大学モードリン・カレッジ「探検家会員」になるとラップランドアイスランドスバールバル諸島西インド諸島アメリカなど世界の多くの地域を訪れた。ケンブリッジ大学に奉職、1866年から動物学と比較解剖学の初代教授職につくと終生、その地位を保った。

弟エドワードが暮らすマスカリン諸島から標本を取り寄せ、鳥類の研究に多くの時間を費やす。中にはドードーなど、のちに絶滅が確認されるものもあり、ロドリゲスドードーPezophaps solitaria)の標本を送らせている。ロドリゲス島に固有の Newton's parakeetPsittacula exsul )、英語名はRodrigues parakeet または Rodrigues ring-necked parakeet ともいうが、1872年にニュートンが初めて論文を記述し、1875年に絶滅した。

1900年、鳥類学動物学に寄せた貢献に対してロンドン・リンネ協会よりリンネ・メダルを受ける。

著作ほか

参考文献

関連項目

外部リンク




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