アルバジン戦争において清に徴発された軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 19:42 UTC 版)
「清露国境紛争」の記事における「アルバジン戦争において清に徴発された軍」の解説
康熙帝は、藤牌(中国語版)(トウの盾)で知られ、明人の父と日本人の母を持つ鄭成功の下にいた兵士たち(藤牌営)をアルバジンへ送る献策を受けた。康熙帝は彼らの技巧に感銘を受け、林興珠と何佑の指揮下で500人をアルバジン防衛の任に就かせた。藤牌営は敗北した際にも一人も戦死者を出さず、筏で川を移動しロシア軍を分断した。また彼らは戦いにおいて藤牌と剣しか用いず、渡河の際には裸で戦った。鄭氏政権に仕えていた漢人航海者が清に用いられた。また藤牌営をはじめ台湾の元鄭氏政権の兵士たちが戦闘に参加した。これは彼らの深い海戦経験を買われてのことであった。
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